生きること 関わること

2017/01/01

2017年 fun fanネットワーク

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 2017年 fun fanネットワーク 
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
2000年7月の李政美コンサート at 寺井町福祉会館 (現 寺井地区公民館)から始まったfun fan ネットワークのイベントも18年目を迎えています。
 李政美 寿[kotobuki] はるまきちまき 佐久間順平 趙博 朴保 ラビィサリ 朴慶南 斉藤とも子 盧佳世・・・。
昨年同様、ふり返りながらそのつながりの広がり、深まりにただただ感謝。
今年もまた、新たな出会いがありそうで、わくわく。
ぜひご一緒しましょう。
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2017 fun fan ネットワーク 予定
1/14(土)はるまきちまき10周年特番 やま家新年会
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やま家新年会には4年前から華を添えてもらっています。2017年の新年会は、また彼らを迎えて盛大に。みなさん、ぜひお集まり下さい。

はるまきちまきLIVE at やま家
17時開場 18時開演
おーまきちまき (vo.アコーディオン)
HALMA GEN (ピアノ・アコーディオン)...
場所 石川県能美郡川北町山田先出
参加費 LIVE+宴会 4000円
       LIVEのみ 2500円
小・中学生1000円 LIVEのみ500円
2/25(土) 京ことば源氏物語
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ラビィサリとのご縁から、山下智子さんの世界へ。
源氏物語を京ことばで聴くということの意味がよ~く分かりました。雅の世界観を、今の私たちに分かる言葉で聴く。そして、その後に原文を読んでいただくと、その原文までがすっと心に届く。本当に不思議な感覚。
2月23日に福井での上演が決まり、その流れでうちでもやっていただくことになりました。これは見逃せ(聞き逃せ)ません。
源氏物語 54帖
12月には金沢で「夕顔」の語りを聴きました。あと53・・・。
2月25日(土) 14:00開場 14:30開演 やま家にて
題目 その他は未定 決まり次第こちらで。
6月 ラビィサリ
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詳細未定 富山福光美術館でのラビィサリコンサートが決まり、その流れ!?でもちろん石川でもラビィサリ!!
こんな流れは、大いに結構です。うれしいです。
キルトグループ展の記念イベントにはラビィサリ、というのが定着した感じがしますが、2年半に一度ではやっぱり長すぎます。
6月後半、ラビィサリが石川で歌ってくれます。
8月18日(金)~20日(日)
李政美石川ツアー2017
18回目の石川ツアーは18日から。
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8月18日(金) 金沢もっきりや
8月19日(土) 小松称名寺
8月20日(日) 珠洲湯宿さか本
いつもの場所で、いつもの歌声
18年目って、ほんと、すごいですね、と人ごとのように。
でも、本当にそんな感じなのです。
一年一年の積み重ねのすごさです。
そして・・・
11月23日(木・祝) 北方 寛丈 with 松本泰子
11月25日(土) 李政美
川之上佐代子 田中穣 田中喜美子
親子三人展 記念LIVE
ねーさんの還暦、そしてお父様の一周忌にあわせての記念イベントが決まりました。
アーティスト一家の節目。
素敵な世界に華を添える音楽。
想像するだけでもわくわくしてきます。
楽しんでプロデュースさせていただきます。
そしてそして
新春第一弾 お友達企画!?
1月2日は 湯宿さか本にて、朴保LIVE
朴保の歌い初めは、今年も湯宿さか本となりました。
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2015年に続いて2回目。
うちらも今日の午後から向かいます。
明日(1月2日)、珠洲で会いましょう。
今年もよろしくお願いいたします。
 

2016/05/05

2016年 fun fanネットワーク

 2000年7月の李政美コンサート at 寺井町福祉会館 (現 寺井地区公民館)から始まったfun fan ネットワークのイベントも17年目を迎えています。
 李政美 寿[kotobuki] はるまきちまき 佐久間順平 趙博 朴保 ラビィサリ 朴慶南 斉藤とも子 盧佳世・・・。
 こんなにも長く続けてこられるとは思いもしなかったし、こんなにもたくさんのつながりをいただけるようになるなんてことも・・・。
 ふり返って、ただただすごいなぁと感心してしまいます。 ありがたいことです。
 ということで、今年もたっぷり楽しみます。
2016年のfun fanネットワーク
 
1/9 (土)  はるまきちまきLIVE at yamaんち
3/11 (金) 光 祈り 縁 ~ 朴保LIVE at 小松町家40名
4/9 (土)  fun fan お花見会 with はるまげん
これから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
6/18 (土) ラビィサリ LIVE  at ルフレ
17時半開場 18時開演
 松本泰子(ボーカル)
 常味裕司(ウード)
 和田 啓(パーカッション)
場所 市民ギャラリー ルフレ
石川県小松市丸の内公園町19 0761-22-0714 (博物館)
参加協力券 2000円 小・中学生1000円
問い合わせ 川之上佐代子 090-7744-1515
LIVEは川之上佐代子と仲間たちのキルト展
  ”9th Stage"の関連イベントとして開催されます。
川之上佐代子と仲間たちのキルト展「9th Stage」
  2016年6月16日(木)~19日(日)
同日14時からアフタヌーンコンサート(アラブ音楽)を開催。
無料です。ぜひおいでください。
6/ 25(土) 寿[kotobuki]LIVE  at yamaんち
 もちろん宴会付き !!
 18:00開場 18:30開演
  場所 yamaの家
石川県能美郡川北町山田先出
参加費 LIVE+宴会 4000円
       LIVEのみ 2500円
7/23(土)佐久間順平 LIVE in 石川 Vol.3
開演18:30 (開場18:00)
  参加費 LIVE+宴会 4000円
       LIVEのみ 2500円
場所 yamaの家
石川県能美郡川北町山田先出
8/6 (土)GENちゃんと遊ぼう!?
  川北まつり&More
   at yamaんち
  HALMA GEN (アコーディオン)
  参加費 未定
8/ 18(木) - 21(日) 李政美 石川ツアー2016
 李政美を石川へ招くようになって、16年目となります。
8/18(木) 主催No.80
 李政美プライベートコンサート
8/19(金) 主催No.81
 李政美コンサート at 称名寺 vol.13
 18:00開場 19:00開演予定
 場所 称名寺 (コバヤシスタジオ前)
 石川県小松市西町96  TEL:0761-22-0344
 サポート 竹田裕美子 矢野敏広
8/ 20(土) 李政美コンサート 共催No.82
13:00開演予定 場所 末信公民館 
8/20(土) 李政美LIVE もっきりや vol. 10 主催No.83
    19:00開場 19:30開演 予定
 場所 もっきりや 石川県金沢市柿木畠3-6 076-231-0096
    サポート 竹田裕美子 矢野敏広
8/ 21(日)  李政美LIVE at 湯宿さか本 vol.9 共催No.84
 18:30開演予定
 場所 湯宿さか本
 〒927-1216 石川県珠洲市上戸町寺社 TEL 0768-82-0584
  サポート 竹田裕美子 矢野敏広

2016/03/30

Be Happy and Smile すてきな1年をありがとう

Kyositu

 この教室で1年が過ぎ、また春を迎え、窓辺にはまた、こうやってきれいな花が開き始めた。
「いい空気が流れる教室で育てば、きっと春にはまた、美しい花を見せてくれるよ。」と去年の4月。

実際に花が咲き始めた教室で、今日、3月30日がこの子達と迎える最後の4年3組。

言葉を心で受け止め、周りと響き合い、本当に一人ひとりが輝いていたクラスだった。
こんなすてきに育ったみんなを、5年生として送り出すことができて幸せです。

5年生からは40人学級ということで、4クラスが3クラスになってしまいます。
28人から37人学級に。
また新しい、すてきな空間を創っていって下さい。

一生一度のこのクラス4年3組。
キセキの1年をありがとう。

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子どもたちにとっての4年3組

・ぼくがこの教室で学んだことは、友達の大切さです。4の3は一人ひとりが友達のことを思って行動していると思いました。サッカーを体育でしていたとき、ぼくが止められなくて負けてしまったけど、帰る時にみんなが「気にしなくていいよ」と言ってくれてとてもうれしかったです。授業の時にだれかが鉛筆を落としたらすぐに拾ってくれて、そして落とした人も絶対にありがとうを言っているので、本当にあたたかいクラスだと思いました。そしてMさんは授業はあまり参加してないけどみんなはマンガを見たら「すごい」や「上手」といっていて、Mさんにとってもみんなにとってもいごこちのいいクラスだと思います。ふつうはお残りはイヤだと言うけれど、みんなすごく楽しそうにやっているんだと思いました。学習面でも成長したけれど、心もすごく成長したと思います。


・3学期に成長したことは、お残りでわく算の直しをして、算数が苦手で2学期に2%好きになったと言っていたけど、3学期になってから10%好きと言ったけれど11%好きになりました。なぜかというと、ふり返りを書くと何の勉強をしたかがまた頭の中にうかんできて、それのやり方が思い出して算数が理解できるからです。今までなぜふり返りをしなかったのかがふしぎです。それを5年生では算数がむずかしいと聞いているので、ふり返りをしようと思いました。


・最初このクラスに入った時、あまりしゃべったことがない人ばかりだったので、少しきんちょうしました。でも、みんなと一緒にいるうちにきんちょうがほぐれ、仲良く話せるようになりました。わたしはたまに人を傷つけるような言葉を言ってしまったりたけど、みんながいたから自分がそんなことをされたらいやだなって気づいて、特にバレーボールでAさんと同じチームになって、Aさんは、他の人がどんなに失敗しても「どんまい」とか「次がんばれ」とか怒らずに前向きに対応してくれて、わたしはとてもうれしかったです。なのでその時から私は、人が失敗しても「なんでそうなるん」とかそんな言い方をせず、自分の気持ちをおさえてやさしく前向きに対応するように心がけています。こんなことをみんながするようになったら、どんな人もうれしくなると思います。Aさんは会長として学級目標の「いごこちのいいクラス」にしようとがんばっているのが分かりました。だから私は、Aさんの努力している姿を目標にしてがんばっていきたいです。跳び箱の時は、私は4年生を卒業する前に8段を跳べるようになりたかったけれど、跳べませんでした。あともうちょっとなのにできなかったけれど、友達が「がんばれ」などと言ってくれたりアドバイスしてくれたりして、Yさんは「一緒にがんばろう」と言ってくれたりしてうれしかったです。みんなにはげまされているようで、自分もがんばれました。だから私も、みんなをはげましたいと思いました。

・ぼくがユニセフ募金のことを言う集会でみんなががんばったと言ってくれて、代表委員として全校の前でしゃべれる力もついてきました。百人一首では1~100までは覚えられなかったけれど、覚えれたので、覚える力もつきました。学級会で代表委員を選ぶとき、みんなが選んでくれたことは、ぼくを信じてくれたんだと思います。ありがとうございます。


・4年3組で学んだことは、まず、前は、先生が生徒に注意していても人のことやし聞いていなかったけれど、このクラスに入って、一番最初にだれかが注意された時に、先生が「その人だけじゃない、みんなに言ってるんやよ」と言ったとき、それを聞いてぼくは、注意されたときはその人以外にも、みんなに気をつけることを言っているんだとわかりました。4年3組で友達が悩んだりしていたら、自分がその立場となって考えてあげないといけないと、初めて知ることができました。自分が人の話を聞いたり答えたりしないと、自分が人に伝えたいと思っても、自分が聞いていないのだから、自分の話を聞いてくれるはずがないとわかりましました。4年3組では、本当のことを話し合えたと思います。


・学級のめあてをつけたとき、「あたたかいはんのう」ということが身についた。3年生までは発表をして終わった後は「し~」で終わっていたけれど4年生になって山先先生に「反応を返すように」と言われて、初めは難しかったけれど、だんだんなれていって、いつでもあたたかい反応を返すことができるようになった。Mは初め、授業中に立って歩き回ったりして怒ってしまったけれど、Mの気持ちを分かったら、怒らずにやさしく話せたことは、Mがいたからできたこと。もし5年生でMと同じクラスになってMがいじめられたり、変なことを言われたりしたら守ってあげたいと思いました。


・4年生の初め、授業がきらいだった私、先生の話を聞かずにボーッとしていました。でもみんなはしんけんに聞いていて、すごい!と思いました。それからだんだん問題がむずかしくなってきました。そして先生の話を聞かずにボーッとしていたせいで授業の話が分からず、ただうなずいていただけでした。でもみんながいたからちゃんと聞こう!と思って聞く力を身につけました。4の3にはMさんがいました。Mさんはそんなじーっとすわれないし、自分で分かってるけどできない!ということが分かってきました。その前はMさんの「心」に傷つく言葉を言っていました。でもみんなやさしい言葉で言っていたので、すごいと思いました。私はまねすることができました。この短い1年間ありがとうございました。


・4年の春、障がい者への思いはまだ「こわい、気持ち悪い」などと悪いことばかりでした。だけどこの4年3組に入って、総合で障がい者への思いはどんどん変わっていきました。最初は「かわいそう」と感じましたが、上から目線ということを習った時に、その思いも変わり、今では障がい者の人への思いは「すごい人だ」とかいろんないい気持ちに変わりました。他にもいろいろ変わった力がありますが、1番大きかったのはこの障がい者への思いだったと思います。


・4の3で、自分たちで授業を進めるや本当のことを話すということが学べました。うそをつかないでみんな仲間だから思ったことをはっきり言わないと自分の意見なしにすすむし、自分がイヤかもしれないから言うということをしっかり考えるようになりました。困っている人を見つけるとそのままにしておかずに助けてあげるということもできるようになりました。わからないところがあってもよく考えると分かるようになり、そこは成長できたと思いました。4の3で学んだことや成長したことはいっぱいあり、これを5年生の時にいかしだいです。思いやりもあっておたがい仲良くてよかったです。大変そうだと手伝ってあげていてよかったです。5年生になったら4の3の人とははなれるけど、5年生のクラスでもそういうクラスを作っていきたいです。


・4の3は、私にとってとっても優しく信頼のできるクラスだと思います。私が筆箱を落としたとき、Yさんが拾ってくれました。私はYさんのおかげでいろんな人に「大丈夫?」とか、優しい言葉をかけられるようになりました。Tさんは私が忘れたとき、なくしたときには貸してくれたり、困ったときは相談に乗ってくれたりしました。I さんは、私が困っていたりしたときいつも笑わせてくれました。だから私は、やさしい力、気づく力を持てました。私が持てた力は全部4年3組の力だと思います。4の3をはなれるのはつらいけど、とっても楽しかったです。今までありがとうございました。


・ぼくはこのクラスが大好きでした。でももう少しでお別れです。ぼくは昔、学校が嫌いでした。2年生後半から保健室に3/4いることになりました。でも3年生からじょじょに勇気を出していき、3/4クラスにいることができました。
1学期、最初は初めての人がいました。でもじょじょに名前を覚えて、友達が増えたなと思いました。初めてたたいたカホン。まずはなれ、練習と思いました。
2学期、運動会があります。9月上じゅんから練習が始まりました。ソーランの練習をがんばりました。でも勇気はなく、本番が心配でした。そんな中、山先先生がほめてくれました。運動会では本当の勇気を教えてくれました。
3学期、54日という短い学期です。じょじょになくなっていきます。ぼくが特に大変だったのは総合の障がい者です。新田さんとかチーム20の田中さんなどに教えてもらいました。4の3での学びは楽しかったです。5年生でもがんばりたいと思いました。


・4の3で成長したと思うことは、学級会などで自分たちだけですすめて、先生に言われなくても自分から手を挙げたりできるようになってきたり、算数もわり算の筆算を理解したり、いろいろな勉強を理解できたと思います。社会で都道府県の有名なものをクラスの人たちが言ってくれて、この県にはこんなものが有名だということを覚えたりする力が4の3で身についたと思います。ぼくは4の3でみんなと勉強できてよかったと思います。5年生になっても4の3のことをわすれずに5年生になりたいと思います。


・4の3で学んだことは、人を大切にしたり、自分を大切にすることです。私は、みんなを大切にしていたけれど、自分のことを大切にしていなかったので、そこは心がけていました。成長できたのは身体もそうだけど、心もです。3年生までは低学年だったけれど、4年生になるともう高学年でみんなを引っ張って行きたいと思うようになりました。高学年として「まだまだだな」と思ったことはあるけれど、ちゃんとできたこともあったのでいいと思いました。勉強でも先生がおもしろいことを言って教室が盛り上がったりしてとっても楽しかったです。またしたいです。4の3にいるととっても楽しかったです。


・私はMさんのおかげで気づけたことがあります。それは、人によって全然違うと言うことです。よく授業中に違うことをしていて、初めは「何でこんなんしとるん」と思ったけど、人によって違うし、1学期はあまりこれなく、保健室などにいたのが、教室に来られるようになったのはすごいと思うようになりました。これは先生からの話を聞いて気持ちが変わりました。他に、私ができないことは教えてくれたり、はげましてくれたりしました。そのおかげで、みんなに本当のことを話せるようになりました。失敗してもはげましてくれました。これは、学級目標にも入っているので達成できてよかったです。5年生になったら、もっとあたたかい反応が返せるようになりたいです。


・4の3のみんながいたから、1人でやらずに、みんなで協力してやりとげる力が4の3のおかげで生まれました。私がいつもにない顔をしていると、Nさんがすぐ気がついて、声をかけてくれました。Nさんのおかげで、いつも気持ちがすっきりします。体育で跳び箱を失敗して落ち込んでた時にOさんが「もう少しでできそうだよ」と声をかけてくれたので、自信を持つことができました。そして先生のおかげで、自分の気持ちを伝えることができました。私が困っていて相談すると、いつもしんけんに考えてくれました。丸つけをしていて大変な時も、しんけんに話を聞いてくれました。そのおかげで自分の気持ちをはっきりと伝えることができ、友達が前よりもとっても増えました。私は4の3のクラスで心からよかったと思います。1年間、ありがとうございました。


・学んだことは、算数の角度の勉強の時、I さんが少し分からなくて、何度も黒板の前で教えてもらって、説明をしていた時、私がその時気づかなかったり少し分からなかったことも、すっきり分かったり、気づけたりしたので、私はI さんのおかげでいろいろなことを学べたなぁと思いました。そのほかにも、4月に学級目標を決めた時、先生は『「いごこちのいいクラス」をぜったいいれるよ』と言っていて、その時はどんなのがいごこちのいいことか分からなかったけれど、今になって、それは、かわいそうだからとか、気をつかうとかではなく、みんながふつうに楽しく、仲間はずれとかがないクラスがいごこちのいいクラスということが分かりました。4の3はそれにぴったりあてはまるなと思いました。4の3は本当にいいクラスだと思いました。私は4の3になってよかったと思いました。5年生になってもがんばりたいです。


・1年間、4の3で学べて本当によかったと思います。1年を通してとても大切なことに気づかせてくれたのはYさんでした。帰る時に「水とうわすれてるよ」と声かけしてくれました。私はこのとき、Yさんの、気づいたら自分から動き、声かけをしているというところをそんけいし、これからは、私もまねしようと思いました。わたしは4の3のいいところは思いやりがあるということだと思います。1年間、けんかをすることもなく過ごせたので、とてもよかったです。他にもろうかを走っている人がいたらすぐに「だめだよ」と言ったり、困っている人がいたら教えてあげたり、上手にできたらほめてあげたりしているところをたくさん見ました。そして本当に4の3はいいクラスだと思いました。きっと全校で一番いいクラスだと思います。5年生になれば4の3メンバーとは別れてしまうけれど、4の3のようにいいクラスをわたしたちで作っていこうと思いました。


・4の3になって、最初はしらなかった子と話すのがきんちょうして全然話さなかったけれど、その子と仲良くなれて、それでお直しとかが全然終わらなくても、友達が「がんばれ」といってくれたとき、4の3でよかったなと思いました。先生はふだんそんなに怒らないけれど、友達を傷つけたときはすごく怒るということで、友達を大切にするということを学びました。4年生になって今までは手を挙げて発表して間違えるのがイヤで全然手を挙げてなくて、でも先生やみんなが、まちがえてもいいから手を挙げてと言ってくれてるから、今までよりも手を挙げることができました。5年生になっても、今よりも手を挙げるようにがんばります。1年間、ありがとうございました。

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Be Happy and Smile すてきな1年をありがとう

学級通信 黄金の実 最終号から

窓辺の花は、みんな、新しい年を迎え、たくさんの花やつぼみをつけています。1年間、みんなの成長を見続け、みんなの優しさと愛情と笑顔を吸収してすくすくと。

 「気の流れ」って、本当に存在すると思っています。
心地よい気が流れる空間の中でこそ、そこにいる全てのもが本来の力を発揮できるのです。

昨日もみんなに話をしたけれど、「学ぶ力」は「学ぶ気持ち」と「健康な体と心」がなければ、決して本当に「身につく自分のための学び」にはなりません。楽しさを感じた人は、苦しいことさえ楽しんで克服してしまうのです。何のために学ぶのか、自分とはちがうたくさんの仲間と出会い、その中で「本当の自分」を見つけていって下さい。

 Hさんがふりかえりに「先生がいつも笑顔でいてくれたから、私も笑顔になれました。」と書いてくれていました。

その言葉、そのままみんなにも返すね。朝、学校へ行くと「先生、おはよう!」とすぐに笑顔で声をかけてくれるすてきな雰囲気の中で始まるこのクラスが、本当に心地よい場所でした。困っている人がいると決して一人にしないですぐに寄りそい一緒に考え教え合い、その子も笑顔になっていく。素晴らしい仲間たち。問題が起きた時は、「そんなのはダメだと思います・・・」なんて人ごとみたいなコメントじゃなく「自分が悲しい、いやだ」と、自分の問題として受け止め考える優しさ。1年かけて、本当にすてきなクラスに成長してきたなぁという実感があります。28人との199日、その一日一日すべてが宝物。みんなの心の中にある「黄金の実」、この1年の成長という収穫をする日を迎えました。

今までずっと数えてきた 自分の嫌なとこ
だけど今日から そっと数えてみる 自分のいいとこ
何気ない毎日に転がっている
黄金の実はまるでくさい銀杏(ぎんなん)みたいに

学級通信「黄金の実」は、NUUさんの
「123456789,10」という曲のフレーズからつけました。

何気ない毎日、それこそが幸せ。本当の幸せ・喜び・思いは見えない、見せない、かくれてるのかもしれません。それを感じる「感性」を持って、これからも自分らしく、自分のペースで進んでいきましょう。

最近のお気に入りの曲
Superfly「愛と感謝」の歌詞から
**************
どんな時でも 心に笑顔咲かせたい
もがいてはまた 理想は空回る
いつもの光景

あぁだ こうだ 悩んじゃって
なんて面(めん)倒(どう)な生き物だろう
最高だって最低だって 多くは望まない
ここにいたい

今日も明日も 愛と感謝に生きよう
大切なものは忘れがちだけれど
愛しい人よ 最高の笑顔を ありがとう
大地を踏(ふ)みしめて 共に歩こう

その場しのぎの満足感や悦びが
知らず知らずのうちに
自分の首を締め付けるんだ

あぁだ こうだ 悩んじゃって
なんて貧弱な生き物だろう
平凡でいい 毎日に多くを望まない
君といたい

今日も明日も 愛と感謝に生きよう
大切なものは忘れがちだけれど
愛しい人よ 最高の笑顔を ありがとう
大地を踏みしめて 共に歩こう

Be happy and smile
**************

保護者の皆様へ
 1年間、本当にすてきな子どもたちと笑顔で過ごすことができました。キラキラ輝く個性、それぞれを楽しみながら、学びや活動をやらせてもらいました。こちらが学ばせてもらうこともしばしば。その感性の素晴らしさに感動の毎日でした。

 あの子がいるおかげで・・・。そんな言葉にあふれる教室。最高です。「本当のことを話せるいごこちのいいクラス4年3組」この学級目標のもと、しっかりと成長した子どもたちを、高学年5年生へと送り出すことができます。皆様のご協力に心から感謝です。高学年として活躍するこの子達を、また応援していきたいと思っています。ありがとうございました。


さあ4月から高学年 5年生。
いろんなことが始まるよ

でも、みんななら大丈夫

互いの良さを感じ合い、認め合い
自分らしく楽しんで
すてきなクラスを創り上げていって下さい

1年間、ありがとう
4年3組担任
山先安生

2013/11/28

しょうがい って 何?

授業参観は道徳。

この日のテーマは
「障がい」って、何?というものだった。
まずは黒板に「障」の字だけを書いたのだけれど、子どもたちから「しょうがい」「しょうがいしゃ」という言葉がすぐに出てきた。

 しょうがいしゃと聞いて、思いうかぶこと、知っていることを挙げてもらう。

・どこかが不自由
・目が見えない
・身体や頭が他人とはちがう人
・自分の思うように動かない
・同じ人間なのに、差別される人
・身体のどこかがない人

 障がい とか しんしょう という言葉を聞いたり使ったり・・という人を確認すると、たくさんの人が手を挙げた。どちらかというと、よくないイメージで使われる言葉だ、と、子どもたちが認識しているのが分かる。

 「では今から、先生の友だちを紹介します」といって、DVDを流した。「わたしは・・・わたし」というタイトル。友人の大橋なおみさんをディレクターのmizuhoさんが取材した番組。

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 滋賀県に住む先生「大橋なおみさん」は、クラブ活動中、生徒を守ろうとしてヒザを損傷。入院して手術を受けたのですが、その際、麻酔の処置をあやまり、一生寝たきりの生活を宣告されてしまいます。それを受け入れられない彼女は、懸命のリハビリで車イスでの移動ができるようになり、その後、車を改造して運転もできるようになりました。今でも彼女は、中学校で子どもたちを教えています。その彼女のお話を聞く会を、川之上佐代子さん(キルト作家・小松市在住)が計画し、そのために来県したのをmizuhoさんが取材して番組となったのでした。

 このビデオを見終わった後、気づいたこと感じたことを発表してもらう。

・一秒前の自分(歩いて入院)を受け入れられない
・麻酔が適切に処理されず、足が不自由
・一生寝たきりと言われた
・無理といわれたけど、懸命のリハビリで、寝たきりは免れた
・手だけで運転できる車
・友だちが手伝ってくれていた
・できないことはない
・大変=「大きな変化」
・ありがとう
・石川では自然体(そのままの自分)
・健常者のふり
・車は車イスをかくす
・4時間かけて滋賀から石川へ

 ここで、子どもたちへの問い
「ふり」「かくす」という言葉をみんなが出してくれたけれど、どうしてこんな言葉が出てきたのだろう?その中に感じられるなおちゃんの思いは?

・見られたくない
・見られるのがつらい
・目立つ はずかしい
・知られたくない
・気にしている
・昔の自分と比べられる

 障がい者のがいは「害」という字があてられている。まるでその「人」が「がい」であるかのように。
 ~をすることに障がいを感じている、不便を感じている「人」であって、その人の能力が劣っているとか、「害のある人」とかいうことではないのに、障害者というひとくくりで語られ、世の中から差別や偏見を受けているとしたら、これはもう、つらいの一言で言い尽くせない。障がい者ではなく、障がいのある人。それは、~をするのに「しょうがい」があるから、それを取り除けば、私と一緒に「楽しく」「すてきな」日々を過ごせる人ということ。その障がいを、高いカベにしてしまっているのは、周りにいる「わたし」なのかもしれません。

 自分の中にある差別や偏見に気づくこと。そして、自分ももしかしたらその「差別される側」にいるかもしれないこと。そういうことに気づくことから、いろんなことは始まっていくのだと思っています。そういう、当たり前のことを、なおちゃんと一緒にいるおかげで教わっています。

Sayoko

 同じように、キルト作家の川之上さんも、両足に障がいを持っていて、障がい者手帳の交付を受けています。

 俳優のトムクルーズさんも、文字を言葉として認識する脳の働きに障がいを持っています。致命的とも思われるその障がいも、周りのサポートで、その人の中にある、宝物のような才能・個性が光り輝くのです。

 失われた機能がある分、残された機能がさらに特化され、磨かれ、活かされる。すごい能力が人間には備わっているのかもしれないね。みんなには、自分の中に「差別の心はあるかもしれない」だから「たくさんの出会いの中で学ばせてもらっている」という気持ちで、これからたくさんの出会いで、自分自身を磨いていってほしいな、と願っています・・・と結んだ。


子どもたちの感想

 私は今日の授業を受けて、障がいを持った人でも、明るくその人なりに生きてるんだなぁと思いました。私はその人の気持ちも考えず、前まで「しんしょう」とか言ってしまっていました。今考えると、障がいになって人から悪口言われると、すごくいやな気持ちになるので、自分がされていやなこと、言われていやなことはしないように気をつけます。私は無意識に言ってしまうことが多いので、本当に言ってもいいことか、考えます。この授業を受けて、いろんなことが学べました。自分の悪いところにも気づけたし、とってもこれからの自分につながる授業になったのでよかったです。


 私は障がいという言葉を使って、友だちと盛り上がったことがあります。大橋さんの前向きに進む、できないことはないという言葉に感動しました。ふりをするとか、自分が気にすることを言われたりすると、すごくいやな気持ちになります。大橋さんが気にしていることも、すごく感じられる時間になりました。何かあっても負けない、自分が障害を持っていたら、前向きになれるかな?不安です。差別されたりいつも通りの私でいられない、そんな私は楽しくない。その気持ちを変えて、障がいを持っている子がいても、普通に楽しく話すようにします。障がい者はおかしくない。おかしいと思う人がおかしいんだ。


 ぼくはこのビデオを見る前までは、障がい者は何もできない人だと思っていたけど、サポートしてくれる人がいたり、自分の気持ちが高ければ、ぼくが思っていたよりもいろんなことができるということが分かりました。


 授業参観で、障がいについて話し合いました。大橋なおみさんは滋賀県から来るまで4時間もかけて石川県に来てくれて、すごいと思いました。滋賀県出身なのに、石川県が自然体でいられるのはすごいことだと思います。私は障がいや差別などを言ったことは一度もありません。でも、言っているのは何度も見たことがあります。友だちに聞くと「障がいはいやな意味で使われている」みたいなのでとてもいやです。人間はサポートがあると楽しいということが分かりました。私の8才の弟は障がいを持っています。でも、私は弟が障がいを持っていてもいやだなーとか思ったことはありません。私は、楽しく過ごしてくれればそれでいいと思っています。たとえ冷たい目で見られても、私は弟の味方です。だからなおみさんの気持ちなどがよく分かります。


 よく障がい者を見ますが、そのたびに、さわられたくないとか、気持ち悪っ!!と思ったりしていました。私は障がい者のことをバカにし、偏見で見ていたことが、今日の5限目になって気づけました。授業参観の後に買い物に行きました。車イスに乗っている人は何人いるのかな~と思いましたが、3人の人が障がいのせいで乗っていました。気をつけてみると、意外と障がい者、車イスの人がたくさんいることが分かりました。まだ少しだけ偏見で見ているけど、少しずつなくしていきたいと思います。


 私が一番思った(感じた)ことは、友だち(支えてくれる人)がいたり、自分が前向きに進もうと思ったら、障がい者でもどんな(難しい)ことでもできるということです。でも、やる前に無理だと言ったら、その人はやる気がないし、できるかもしれないのにやらないのは、いつまで経ってもできない(上達しない)。私は、そんな人なので、少しずつ直していきたいと思った。宮脇さんが「同じ人間」って言った時、そうやな!と思いました。でも、もしかしたら私はどこかで差別とかしとったかもしれない。でも、今日から直していったら今の山先先生みたいになれるかもしれない。私は、山先先生(今)は、差別とかしないし、怒ります。それは、もしかしたら、今までそういう(差別)ことをされた人の気持ちを知っていたからなのかなと思います。前に先生に、差別(いじめ)とかした人が、いじめられている人たちを助ける仕事とかについている人もいるって言ってた。私は、一番初めに「なんでいじめとったのに、助けるとかやってんの?そんな資格ないやろ!」って思った人です。でも、いじめとった人は、いじめられてた人の気持ちを後からこんなんじゃなかったのかな?とか分かるんだろうと思う。そんで、大きくなってから、後悔する。だから、そんなことはしないでほしいとか分かるし、いじめられている人の気持ちも分かると思う。


 道徳の課題は「障がい者って?」というものでした。そして考える時間。私がすぐに声を出したのは、「身体のどこかが自分の思うように動かない人」その後に見た、一つの動画。それは先生の友だちで、足に障がいを持つ一人の女性。それを見たみんなの感想に「かわいそう」ってありました。でも、私はそういう表し方をしないようにしています。やっぱり、言われた人が傷つくから。人が助けてくれるって、どれだけ感謝しなきゃいけないことなのかも考えられた授業でした。


 障がい者といえば・・・不自由。同じことができない。自分は「うわ~、障がい者や」って思う時がある。でも、障がい者は~~ができない、~~がない、~~~が聞こえない、ただそれだけで「障がい者」という名前がつく。同じ人間という生き物なのに、「健常者」と「障がい者」といわれる。それがぼくはきらい。差別と一緒。障がい者も治りたいと思っている。ぼくは気づかないうちに思っているけど、この話をきっかけに気をつけたい。


 大橋さんは医者が手術で失敗して、寝たきりで、リハビリの先生は「もう歩けない」と言われたけど、あきらめずにリハビリして、寝たきりではなく、車を運転できるように(ブレーキなどを改造して)なって、すごいと思いました。私がもし障がい者になったら、大橋さんと逆で、あきらめてしまうと思います。でも、あきらめてしまったら、やりたいことができないままで終わってしまうので、やはりやりたいことをしっかりとやりたいと思ったんだと思います。私は川北祭りの時に、1回大橋さんと会いました。その時は車イスに乗っていて、とても楽しそうに他の人たちと話をしていました。それを見た時、なぜ車イスに乗っているのかと思いました。知り合いが一度骨折して、車イスに乗っていたので、骨折したのかなと思っていました。今日話を聞いて、障害を持った人だと知りました。


 自分にたとえてみると・・・。
 私のおばあちゃんは、心臓にペースメーカーを入れていている。障がい者手帳を持っている。私は障がい者じゃないから、と思う偏見をついしてしまうことがある。でも大橋さんみたいに大変=大きな変化と思っているのがすばらしいと思う。前テレビで、障がい者にインタビューをしているのを見た。自分がいなくなった方向に・・・という、自分はもうできないから、もう自殺した方がいいと思ったというのがあった。でも大橋さんはからだが全く動けなくなると言っていたけど、今からリハビリしたら少しは動けるのではないかと1%の可能性を信じてリハビリを一生懸命がんばったと思う。私のおばあちゃんだって、ある日突然気分が悪くなり、すぐに病院に入った。時には面会時間を決められ、つらい治療にたえていたのを見た。でもばあちゃんは、左の後遺症は今でも完全に治ってはいない。先生から歩けるのにも時間がかかってしまう言われていたが、リハビリをがんばったのか、今はすらすらと歩いている。障害者の人を冷たい目で見ないとか、偏見をしないと今ちかう人もいるだろう。でも、自分にはもっとできることがあるはず。優しく接したり、助けたりして自分からやっていきたいと思う。簡単に思ってしまうが、それは簡単ではないが、それをめざしていきたいと思う。


 今日、大橋なおみさんの話を聞きました。医療ミスのせいで、足が不自由になったのはかわいそうだと思ったし、医療ミスは絶対に許されることではないと思いました。大橋さんの前向きな気持ちに感動しました。「大変」ということは、「大きな変化」ということだから、「大変だね」と言われたら「ありがとう」と返すということが、特に心に残りました。大橋さんは石川県にいる時だけいきいきと普通に過ごせるそうです。私はこのことを知った時、「石川県が好きなんだなぁ~」とうれしく思いました。でも、石川県だけということを思い出しました。大橋さんは滋賀県に住んでいます。大橋さんは滋賀県にいる時は、自分には障がいがあると思いつめてしまうんじゃないかと思います。大橋さんのように、こんな思いをしている人はたくさんいると思います。こんな思いをさせてしまうのは、身体にハンデのある人たちに対する、差別や偏見です。私は大橋さんのことをかわいそうだと思いました。もしかしたらこれは、偏見に入るのかな?と思いました。「障がい者=かわいそう」という偏見。必死にそのハンデに立ち向かおうとしているのだから、かわいそうだとは思わず応援したり、手助けをした方がいいと思いました。大橋さんの前向きな気持ち。私もまねしていきたいと思いました。大橋さんが車から降りる時、「初めて会った人でも手助けをしてくれる」と言っていました。日本にはたくさん優しい人がいるなーと思いました。私は「障がい者」という言葉はきらいです。なんだか「いらない人」と聞こえてくるからです。みんな一人ひとり顔も心も違うのに、健常者と障がい者で壁をつくるかが分かりません。その壁が、差別や偏見を作っているんだと思います。私は今まで「障がい」ということで、少しふざけてしまったことがあります。これからは、絶対に差別や偏見をしません。大橋さんが滋賀県でも元気なふりをしなくてもよくなるようにがんばります。みんなが平等に。一人ひとりの個性を大切に。そのことをみんなに広めていきたいです。


 差別や偏見は、自分に関係がないと思っている心から生まれるのかもしれないね。
 家族や友だち、いつも一緒に生活空間を共にしていると、「いるのが当たり前」という感覚が育っていきます。ところが、突然自分とは「ちがう」物を突きつけられた時、そこに「異物」を感じ、きちんと向き合いもしないでその時の感覚や周りの様子、それまでの情報と結びつけて反応してしまうのでしょう。弟のことを「いやだなーと思ったことが一度もない」といいきれるのは、そういうこと。本当にステキな感覚を、当たり前に身につけていてすごいなぁと思いました。弟がいてくれるからこそ、身につく優しさ。心が熱く温かくなります。


 yamaのことを書いてくれてるけれど、yamaの心の中にも差別の心や偏見が無いとは言い切れません。だから、いつも、いろんな人の話を聞かせてもらったり、学習会に出かけたり(毎年11月に、人権教育の全国大会があって、たくさんのレポートを聞かせてもらいます)しています。


 「かわいそうって言う表し方をしない」って書いてくれたけど、すごいね。「してあげる」という言葉を、「させてもらう」と言い換えるだけで、目線が変わります。たったそれだけで、物事がちがって見えてきます。気づいたその時から始まるのです。


 おばあさんに起こった出来事。真剣に向き合う気持ちを持てるのは、自分にまさに関係があるから。そして、そのおかげで気づくいろんなことが、次に出会うはずの出来事に結びついて行くのです。


 「『障がい者=かわいそう』という偏見」 「障がい者」は「いらない人」と聞こえる。みんな一人ひとり顔も心も違うのに、健常者と障がい者で壁をつくるかが分からない。その壁が、差別や偏見を作っているんだ・・・と書いてくれたこと・・・。驚きとともに、心からの喜びも感じています。まさにその通りだよ。 


 なおちゃんのメッセージを受け取ったみんなが、周りの人にその思いをつなげていくこと。それが、「安心して」暮らせる社会、いごこちのいい空間を作っていくことにつながっていくことでしょう。これこそ灯々無尽(とうとうむじん)。小さなろうそくの火も、絶やすことなくつなげていけば、ずっとその火は燃え続けていく。あきらめずに、私たちから。


 みんなが書いてくれた文章は、なおちゃんに送りました。すぐにメッセージが返ってきたので紹介するね。

 うーん。スゴイ!!うちのクラスでこんな事書ける子いないわ。すごい感受性の高い持ってる子たちですね(*^_^*)。一言一句、まさに私の心にbingoでした。これは泣ける(^.^;職員室でメール見たから、ヤバい。朝から泣けてもた(^.^;だからトイレに直行(^.^;今、トイレに引きこもり→返信しています(*^_^*)私の想いも生徒にちゃんと伝わっている。本当に素晴らしい☆私はこの道徳の授業で障害というものを取り上げて頂いたことに、すごく感謝の気持ちでいっぱいです。ほんとにありがとう(^^*)
 子どもが最初に受け取るインスピレーションってすごいんだなと思いました。ありのままの気持ちだもんね。子どもたちが先生を熱く信頼しているのがよくわかる。私がやまさんをとても信頼しているのと同じぐらいにね(^^*)


子どもたちに、naoちゃんをいつか出会わせられたらいいな、と思った時間でした。
ステキな子どもたちと学べる時間、とても大切です。

2011/06/19

何か変だよな。おそらく誰もがそう思っている。でも抗えない。

森達也さんのイベントに参加してきた。


前日入り、称名寺での宴会からご一緒させていただき、震災のこと、本のこと等、いろいろお話を。
京都から入り、翌日には静岡へ移動と忙しい時間を過ごされてます。

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ご住職や裕子さん、友人の皆さんとの楽しい時間。
美味しいお酒もいただきました。

その中で、この本のことも。

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なぜ「あの事件」から目をそむけるのか?

歴史は上書きされ、改ざんされる。無自覚に・・・。
A3特別サイト

その場で購入。
サインもいただきました。
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オウム事件以来、世の中は大きく変わってしまった。

一人では怖いから群れる。
自分は手を汚したくないから、誰かにやらせる。


オウムのことも、原発のことも、本当のことは分からない。
感じる、考えるしか無いのです。


昨日のお話も、そういう視点で語られていた。
とても分かりやすい話だった。

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じっくり、本を読んでみます。


A3
森達也 著

2011/06/17

森達也さんが小松へ 【イベント案内】

明日6月18日(土) 午後1時半から
小松西町称名寺さんにて下記のイベントが開催されます。
ご一緒しましょう。

*******************

東日本大震災を契機として、この国の在り方が問われはじめています。
敗戦は新生日本の出発点となってきたか。
そのことを語りたいと思います。

~お話し~

『阿弥陀の願いと憲法第九条』
中京大学教授 平川宗信氏

『ジャーナリズムと憲法第九条』
ジャーナリスト 森達也氏

会場 小松市西町96 称名寺
日時 6月18日土曜日 13時半から
聴講費 500円

★16時から真宗大谷派九条の会・新代表を交えて
18時から食事をしながらの自由懇談 参加費1000円
★原発事故をどうみるかな?と、お尋ねしたいと思います。

主催 真宗大谷派九条の会・小松

2011/05/22

岩手8日目 最終日 釜石市~大槌町

■5月9日(月) 岩手8日目、最終日。
この日はボランティア全面休止が岩手県全体で決定していた。
他の労組が作業していた釜石市・大槌町の様子を見に回らせてもらうことにする。
午後は遠野で休憩。
買い物を済ませて帰りの準備をするという計画となった。

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この日の朝食。
朝からのり弁でした。

おにぎりがまたでかい。
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ピーマンの肉詰めとたくあん付き。

一週間の滞在で、花の様子も様変わり。
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宿舎を出る前に、第5次のメンバー寄せ書きが完成。
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実は第6次から日教組チーム、宿舎が変わることになった。
この場所で過ごすのは自分たちが最後。
自治労と基幹労連は、このまま東和での宿泊。
日教組は、大船渡に近い五葉温泉近くに宿を取ることができたらしい。
東和から大船渡まで、片道1時間半。
五葉からだと30分ほどになる。少しでも作業の時間を長くとれるのはいいことだな。

寄せ書きや備品などは、新しい宿舎の方へ受け継がれるとのことだった。

東和から釜石市へ向かう。
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いつものように、川の流れが美しい。

1時間ほどで、釜石市に到着。
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新日鉄の工場が、どーんと駅前に建っていた。

駅でトイレ休憩をした後、バスで市内を回る。
大船渡とは違った光景が、目の前に広がっていた。

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バスから町の様子を見るだけ、とまることはできない。
360度、全方向、こんな風景が続いている。
そしてバスは、大槌町へ。
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町がすべて飲み込まれてしまっていた。
何が何だか分からない。
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商店街が並んでいたであろうこの町の、ほとんどが無くなってしまっていた。
自衛隊の隊員たちだけが、がれきの中を歩き回っている。

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ところどころで赤い旗が掲げられていた。
そこで遺体が発見された、ということだろうか。

どこに何があるのか、未だにはっきりと分からない状態のままである。

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バスの中は、ため息と祈りとが交錯していた。

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道路の片側が陥没していて、交互通行になっていた。
ただただ見つめるだけだった。

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こんな大きな船は、いったいどうやって片付けるのだろう。

釜石→大槌→釜石、とバスを走らせた。

自分たちのボランティアが、いったいどれだけの力となるのだろうか・・と、疑問に思えてしまう。
とにかく、ものすごく膨大な時間とお金がかかることだけは間違いない。

みんなが、自分のこととして考えていく必要があります。

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津波想定区域という看板が、道路に掲示されていることの意味をまざまざと考えさせられた。

12時過ぎ、遠野に到着。
2時半まで、昼食と散策。
この地もまた、地震の傷跡は癒えてはいない。
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遠野物語は読んだことが無かったけれど、カッパが有名だったのですね。
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毎朝この川に、キュウリをぶら下げる人がいるのでした。

夕方、宿舎の前で記念撮影。
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長いと思っていた10日間が、本当にあっという間に過ぎ去っていったのを、みんな同じ思いで感じていた。

この日の夕食。
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荷物を片付け、整頓をしバスが来るのを待つ。
その間、部屋で最後の交流会も持った。

夜10時半、東和を出発。
途中、4回ほどSAでトイレ休憩。
朝5時に、無事東京へ到着。
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ご苦労様でした。

荷物を東京駅に預けて、早朝から営業しているお風呂へ浸かる。
ほとんど眠れなかったし、座席が狭くて体のあちこちが痛かった。
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いろいろな経験をさせてもらいました。
考えることもいっぱい。

ボランティア休暇をもらい、岩手まで来させてもらったことを、心から感謝しております。
この経験を、また学校で子どもたちとの学びに活かしていこうと思っております。

2011/05/09

岩手7日目 作業最終日 出会いふれあい

■5月8日(日)

9日が岩手全県でボランティアをしない日となり、作業としてはこの日が最終日となる。
9日を休みにしたのは、ボランティアを支えるスタッフがほとんど休めない状態であることへの配慮。もっともである。
9日は、連合がボランティアとして入っている残りの地区、釜石市と大鎚町の現状視察をさせてもらうことになった。陸前高田市には、まだ入れないとのことである。

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yamaたちが泊まった、2年生の教室。

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前日の作業前、配られた支援セット。
軍手や手ぬぐいが新品じゃないところがいいな。

甘い物も作業の途中に食べましょう、という配慮も。
汗ふきもあって、みんながいろんなことをノウハウとして学びあっているのが分かる。

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この日の朝食。


作業最終日のこの日、かねてからそうしたいと願っていた、被災家屋の復旧に入れることになった。海岸に近く、被害の状況は凄まじいものがある地域、佐野さんのお宅で、床下にたまった海砂の撤去と、庭に敷きつめられた砂利が見えなくなるほど積もった油混じりの土砂を取りのぞく作業である。
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辺りはまるで廃墟。道路わきにはうず高く積み上げられた流出物。その中を進み、到着。
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道路わき、5mほど坂を登ると玄関。
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床は剥がされ、中に砂がたまっているのを撤去。10人が二人ずつチームとなり、スコップでかき集め、土嚢袋に詰め込んで運び出す。二時間ほどで、真っ黒だった床下が、茶色い元の状態に戻った。
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休憩で、佐野さんにお話を伺う。
二度目の地震で、これはいつもとは違うと感じ、裏の畑に出た。あっという間に水が押し寄せ、家の中に入り込んでしまう。道路からは7mから10mも上のところまで、波が盛り上がり、家を飲み込んで行く様を、畑から見ることになってしまった。

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家の中、いたる所にくっきりと波の跡が残る。
高台にあるこの家で、2mほど浸かってしまった。
平地にあった家は、ひとたまりもない。

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家の横が、畑になっている。


玄関先に繋いであった、愛犬ケリー。長いリードが幸いして、寄せる波の中を、必死で泳ぎ続けたという。竹の棒を上から差し出すことくらいしかできなかった…と、のんびり寝転ぶ姿を見ながら語って下さった。みんなで、ケリーをなでてねぎらう。人懐っこい、8才の、ゴールデンレッドリバー

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ケリーの周りには、かわいい、小さな花がたくさん咲いている。
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次の作業は、玄関先の土の除去。
言われるまでは気づかなかったけれど、ここは、砂利が敷きつめられた場所だった。

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10cmほど掘り起こし
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篩(ふるい)にかける。
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落ちた土は土嚢に、砂利は積み上げて、後で敷きつめる。試行錯誤しながらも、次第にいいコンビネーションとなっていくのがおもしろい。

昼のおにぎりはこんな感じ。
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どちらも梅干し。
ご飯を食べなさいって感じがする。

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佐野さんが出して下さった、漬け物。これが美味しくて、ご飯が進む。


昼の休憩中、辺りを歩く。
前日までも凄まじかったが、ここはまさに、あの、ニュースで流され続けた、悲惨な状況が、ほとんど手つかずで残されている場所だった

潰れ、傾き、横倒しになり、あらゆる物が散乱している。
震える気持ちを抑えながら、シャッターを切る。

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2階の窓まで、津波が押し寄せている。
この辺りで、10m近い波があったのだろう。

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2階までむき出しになっている。

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佐野さん宅に戻り、作業再開。
しばらくすると、ポツリポツリと雨が落ち始めてきた。少し強くなりそうだったので、声をかけて納屋の中に荷物を運び入れたまさにその瞬間、カミナリの音と共に激しい雨。ものすごい雨。そして…バラババラっと音をたてて、なんと雹が降ってきた。辺りはあっという間に真っ白。

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ようやく上がり、みんな、白くなった辺りを撮影。ふと道路を見ると、‼‼⁇

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濁流のように、道路を水が流れているではないか。またみんな、その様子を撮影。
こんなことは見たことがないと佐野さんも。地震の影響で、地盤沈下ご起きているのかもしれない。
いろんなことが起きる。

時間の許す限り、玄関先の作業をさせていただき、完全ではないけれど、以前の姿が想像できるほどにはできた。
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帰り際、握手をして写真撮影。
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見ず知らずの方に、こんなにまでしていただいて、とおっしゃる佐野さん。こちらこそ、熱い気持ちをいただきました。

せめて年賀状を送らせてほしいと言われたので、住所をお聞きした。
またいつか、元気を取り戻したこの町の人たちの笑顔に会いに来たいな、と思う。
それまで、お元気で。

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この日の夜が、みんなで食べる最後の夕食。

あっという間の6日間。
本当に、あっという間。

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差し入れのカレーパンも美味しかった。

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連合の3つの組合の交流会。
若い人たちの元気もいただきました。

2011/05/08

岩手6日目 作業5日目。生きるということ。

■5月7日(土)
この日の朝食。
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大船渡に着いて、今日の作業は被災家屋の泥だし…と言われ、よ~しと意気込んだが、すぐに予定がかわり、しばし待ちの状態に。

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ここが受け付け。
毎日名前を書いて、シールをもらう。

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このホワイトボードに、その日の作業が書かれていて、人数が割り当てられ、配送される。
現地に連絡を取りながらの作業なので、その調整が大変。

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この日から、いくつかのチームに分かれて作業。連れ合いのチームは被災者宅の泥だし。配送を待つ。

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自分たちは調整待ち。

連れ合いが担当したのはこの家。
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車が一台、裏の土手と家に挟まった状態のままになっている。どうしたのか尋ねると、家の周りは流されてきた車だらけだったとのこと。
2ヶ月経って、他の車の撤去は済んだが、この車だけ、挟まれているのでまだこの状態で残っているのだそうだ。なんということだろう。

この家の周りは、まだこんな状態。
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この日の作業ではとても終わらず、結局次の日もこの方の家で作業することになった。
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その場にいると、何とかしたいと思ってしまう皆さんです。


で、自分たちは・・・。

40分ほど待機して、住宅地に囲まれた空き地の表土を削り、石灰をまいて消毒するという作業に決まった。

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津波被害の後、瓦礫を一時的に積み上げておく場所となったが、持ち主の所在確認が取れないままだった。
道路が復旧し、瓦礫の処理が終わった段階で、周りに住む人たちで、土地をきれいにして持ち主に返そうとしているのだった。
しかし、この辺りに住まわれているのは、ご高齢の夫婦や一人暮らしの方がほとんど。お子さんたちは、東京や仙台などで所帯を持たれているようで、作業はなかなか進まないでいたのだった。というわけで、我々の出番となった。

まるで農作業。
クワで耕し?スコップですくう。土嚢がみるみるうちにたまっていった。

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作業しながら、世話人の方、周りに住むおばあちゃんたちが、その日のことを、ジェスチャーを交えながら語って下さった。

途中には、近くの家の方が、ドリンクを差し入れて下さった。
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この日のおにぎり。
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昼には、おばあちゃんが、家の中を見せて下さり、その時の様子をその場所で話してくれた。
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床下はすべてはがされ、ようやく泥だしが終わったところ。
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あの日のことを、思い出すように語って下さった。
一度目の放送は聞こえず、二度目の放送で気がついた
逃げようと思い、玄関で長ぐつを履こうとしていたらいきなり水が入ってきて、あっという間に流されてしまう

この家はお年寄りの独り住まい。生活し易いように、平屋建てとなっている。押し寄せた波は2m。奥の座敷までながされ、窓際にあったテレビの上に乗り、鴨居につかまってようやく顔を水の上に出したそうだ。
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窓の外が、ちょうど作業をしている空き地。

窓の高さの上の所に、その時流れ込んだ波が残した線がくっきりと残っている。
おばあちゃんの身長を、遙かに超えている。
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飼っているトイプードルも流されてきて、その子を肩に乗せていたが、今度はテレビが流されてしまった。このままでは危ないと思い、鴨居伝いにはめ込み式の神棚に移動。犬を神棚に上げて、肘でその顔を上げるようにしてあげたまま、首まで海水に浸かりながら1時間半、鴨居につかまって九死に一生を得た、とのこと。
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この神棚に犬を預け、自分も入ろうとしたけれどとても上れなかった。

家の中のその場所で、この話を聞かせていただいた。
あまりにも生々しく、その時のようすがありありと目の前に浮かんできた。

いつ引くともわからない恐怖と闘いながら、必死で犬を守ろうとしたおばあちゃんのすごさ
今ならとてもそんなことはできないといいながら、笑顔で話して下さった。
ただただ、すごいの一言。

座敷には、ようやく洗い終わったという茶碗など。
建具はもう、すべて使い物にはならないらしい。
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外では、教会にお勤めの女性からお話を。
海沿いから三本目の橋の上で渋滞に巻き込まれ、動けなくなってしまった。前の車が津波のほうに曲がろうとして迷い、止まってしまったのだ。そのうちにみるみる波が押し寄せ、前後が波に浸かってしまった。橋真下にまで波が来て、生きた心地がしなかったそうだ。
二本目の橋までは波に飲み込まれてしまったそうで、これまたその恐怖たるや。作業しながら、そんな話を。

生と死は、まさに紙一重。

食事の後、しばらく休憩時間があったので辺りを歩く。

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線路の上に、真っ黒の魚が何匹も何匹も散乱している。
乾き、骨が露出して、異臭を発している。

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立派な鯛です。

これから暑くなって、ますますニオイがひどくなっていくのだろうなぁ。
とにかく、たくさんの手が必要です。

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枯れてしまった植木も数多いが、地震と津波を乗り越え、今を盛りと花を咲かせるものもたくさん。
心和ませてくれる。


午後も続きの作業。最後に石灰をまいて消毒。
大変だけど、なぜか清々しかった。

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作業が終わって軍手を撮ると、そこまでが真っ白。

終わって皆さんと記念撮影。

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5年かかるか10年かかるか分からないけれど、立ち直ったこの場所を、ぜひ見に来て下さい、と、最後に一言。
ぜひ、またこの場所を訪ねてみたいと思います。


温泉とビール、最高だったのは言うまでもない。
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この日の夕食。

出会えたことに感謝でいっぱいの、作業5日目。

2011/05/07

岩手5日目 作業4日目 充実感

■5月6日(金)作業4日目。
この日の朝食。
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いつものようにバスに乗り込み、大船渡ボランティアセンターに到着。
受付を済ませると「これをどうぞ」と手渡された。

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岩手県薬剤師会から、ボランティア活動に携わる人に配られたセット。
のど飴にマスク、消毒スプレー、湿布、キズバンなど。

みんなができることでサポートし合っているのを実感する。
ありがたく頂戴する。

この日も支援物資の仕分けかなぁと思っていたら、「今日は実際に、被災地区に入り作業をします。」と言われる。
人と出会えると言うことで、また気持ちが引き締まる。

午前中は、かろうじて倒壊をまぬがれた住宅の、周りにある崩れたブロック塀の撤去と、入り込んだ丸太の撤去。
両隣と後ろの家は、取り壊しが決まっていて、この家自身も、後ろの平屋は取り壊すことになっている。道路沿いは二階建てで、その建物は何とか使えそうということになり、今回の作業。

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まず、倒れたブロックをハンマーで小さくして、一輪車で運び出す。
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丸太は、係りの人がチェーンソーで切断したものを同じように。
途中、この地区の班長さんという方が様子を見に来られて、いろいろ話を聞かせていただいた。班長さんの家は、この辺りでただ一軒、無事だった。サッシがペアガラスで、鍵をかけたのが幸いしたとのこと。住宅の二階で、あの、ニュースで流されていた実際を目の当たりにしていた。途中、一階へ降りたら、窓の外を、魚が泳いでいた…なんて話を、笑い話のように。
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あちこちの建物に、Eのマークが書かれていて尋ねると、電気を止めた、すなわち、取り壊しが決まっていている家の印だった。ついていないのは、この辺りでは3軒。あとは全部取り壊し。
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作業させてもらった家から100mもいかない辺り一面、戦後の日本の写真で見るような、道路だけが残り、瓦礫が積み上げられただけの、言葉にならないような光景が広がっていた。
もう二ヶ月経つというのに。
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2時間の作業で、あらかたのブロック撤去を完了。
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午前中の作業を終えてボランティアセンターへ戻る。
その途中、来る時には気づかなかった震災の爪痕が目の前に。

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ボランティアセンターの真後ろにある家が、火災で屋根が抜けてしまっていた。
地震、津波、火災・・・。いくつもの災害が一度に押し寄せ、3月11日の午後は、どれだけ恐ろしい時間だったのか想像も及ばない。

使った道具は、自分たちで洗って戻す。
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洗う場所も離れていて、坂道を降りて水道を引っぱり、一輪車に水をためて一つ一つ。
これも、自己完結の一つ。

昼はボランティアセンターの駐車場で食べる。
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おにぎり二個、というのは変わらないが、店が違うので毎日全然違うスタイルのおにぎりとなっている。
変わらないのは、その一つ一つが大きいと言うことだった。

昼を食べた後、午後の作業まで時間があるので、カメラを持って町を回ることにした。
ボランティアセンター(市役所)横の橋を渡りはじめると、すぐにこんな光景が目に飛び込んでくる。
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向こうに見えるのが市役所。橋の下は、すべて押し流された家屋。

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何がどこで、どこから流れ着いたのか、全く分からない。

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すべてが押し流され、残っている建物も1階が全くなくなっている状態。
道路だけがあけられ、無造作に積み上げられたものが、いたる所でうずたかくなっていた。


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信号は、2ヶ月経ったこの時点でもまだついていない。

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床下に飛び込んだ丸太。
いったい、どうしたらこんなことになるのだろうか。


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横倒しになった軽トラが、あまりに小さく見えて。

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線路も砂をかぶり、がれきが押し寄せ、復旧のめどすら立たない。
このまま廃線になってしまうのかもしれない、という話も聞こえた。

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橋の反対側をのぞくと、屋根の上に丸太とドラム缶が乗っていた。

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橋を渡り終えると、歩道の植木にドラム缶が突っ込んだまま。
周りには油まみれの魚が散らかっている。


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折り重なるように放置されたままの車。

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横倒しになり、屋根が覆い被さった状態の車。

すさまじかったのは、踏切付近に足を運んだ時だった。
踏切を挟んだ両側の、少しくぼんだ場所に、何台もの車やがれきがぎっしりと詰め込まれたような状態になってた。
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ぎゅっと押し込まれたように、何台も何台も・・・。

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ただ呆然と、見つめるだけだった。

真横の歩道には、最初からここにあったのか?と思えるほど、ぴったりとはまっている大きな丸い筒状のもの。同じような物が隣に横倒しになっていた。
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自然の力の大きさに、唖然とするばかり。


午後は、仮設住宅の代わりに準備された雇用促進住宅、そこへ住まわれている被災者の方たちへ物資を届ける仕事をすることになった。

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5階建て、狭い階段を荷物を持って上がり下り。当然、エレベータなどはない。

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各家庭に一つずつ配布する物と、人数分配布する物がある。
ボックスに入ったトイレットペーパーや洗剤など、ほうきとちりとり、ゴミ箱、テーブルなどは一家に一セット。
茶碗と布団は人数分を運ぶことになる。

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これが一家族分。布団の枚数などは違うけれど。

これらを20人で50軒ほどに配送。
指示する方もされる方も素人だから、みんながそれぞれ思い思いの意見をいい、なおさら混乱。
そういうときは、シンプルに確実な方法を取ろう・・・ということになり、効率を考えずに、一つ一つ運ぶ。
時には茶碗一つを持って五階、なんてことも。

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でも、やってて本当に楽しかった。何人もの方から、ありがとうの言葉をいただいた。
その度、涙が出そうになる。

疲れたけど、心から充実感を味わった一日だった。
温泉とビール、最高だったことは、言うまでもない。

この日の夕食は、二度目のカレー。
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カツカレーでは無かった。

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