学校

2016/03/30

Be Happy and Smile すてきな1年をありがとう

Kyositu

 この教室で1年が過ぎ、また春を迎え、窓辺にはまた、こうやってきれいな花が開き始めた。
「いい空気が流れる教室で育てば、きっと春にはまた、美しい花を見せてくれるよ。」と去年の4月。

実際に花が咲き始めた教室で、今日、3月30日がこの子達と迎える最後の4年3組。

言葉を心で受け止め、周りと響き合い、本当に一人ひとりが輝いていたクラスだった。
こんなすてきに育ったみんなを、5年生として送り出すことができて幸せです。

5年生からは40人学級ということで、4クラスが3クラスになってしまいます。
28人から37人学級に。
また新しい、すてきな空間を創っていって下さい。

一生一度のこのクラス4年3組。
キセキの1年をありがとう。

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子どもたちにとっての4年3組

・ぼくがこの教室で学んだことは、友達の大切さです。4の3は一人ひとりが友達のことを思って行動していると思いました。サッカーを体育でしていたとき、ぼくが止められなくて負けてしまったけど、帰る時にみんなが「気にしなくていいよ」と言ってくれてとてもうれしかったです。授業の時にだれかが鉛筆を落としたらすぐに拾ってくれて、そして落とした人も絶対にありがとうを言っているので、本当にあたたかいクラスだと思いました。そしてMさんは授業はあまり参加してないけどみんなはマンガを見たら「すごい」や「上手」といっていて、Mさんにとってもみんなにとってもいごこちのいいクラスだと思います。ふつうはお残りはイヤだと言うけれど、みんなすごく楽しそうにやっているんだと思いました。学習面でも成長したけれど、心もすごく成長したと思います。


・3学期に成長したことは、お残りでわく算の直しをして、算数が苦手で2学期に2%好きになったと言っていたけど、3学期になってから10%好きと言ったけれど11%好きになりました。なぜかというと、ふり返りを書くと何の勉強をしたかがまた頭の中にうかんできて、それのやり方が思い出して算数が理解できるからです。今までなぜふり返りをしなかったのかがふしぎです。それを5年生では算数がむずかしいと聞いているので、ふり返りをしようと思いました。


・最初このクラスに入った時、あまりしゃべったことがない人ばかりだったので、少しきんちょうしました。でも、みんなと一緒にいるうちにきんちょうがほぐれ、仲良く話せるようになりました。わたしはたまに人を傷つけるような言葉を言ってしまったりたけど、みんながいたから自分がそんなことをされたらいやだなって気づいて、特にバレーボールでAさんと同じチームになって、Aさんは、他の人がどんなに失敗しても「どんまい」とか「次がんばれ」とか怒らずに前向きに対応してくれて、わたしはとてもうれしかったです。なのでその時から私は、人が失敗しても「なんでそうなるん」とかそんな言い方をせず、自分の気持ちをおさえてやさしく前向きに対応するように心がけています。こんなことをみんながするようになったら、どんな人もうれしくなると思います。Aさんは会長として学級目標の「いごこちのいいクラス」にしようとがんばっているのが分かりました。だから私は、Aさんの努力している姿を目標にしてがんばっていきたいです。跳び箱の時は、私は4年生を卒業する前に8段を跳べるようになりたかったけれど、跳べませんでした。あともうちょっとなのにできなかったけれど、友達が「がんばれ」などと言ってくれたりアドバイスしてくれたりして、Yさんは「一緒にがんばろう」と言ってくれたりしてうれしかったです。みんなにはげまされているようで、自分もがんばれました。だから私も、みんなをはげましたいと思いました。

・ぼくがユニセフ募金のことを言う集会でみんなががんばったと言ってくれて、代表委員として全校の前でしゃべれる力もついてきました。百人一首では1~100までは覚えられなかったけれど、覚えれたので、覚える力もつきました。学級会で代表委員を選ぶとき、みんなが選んでくれたことは、ぼくを信じてくれたんだと思います。ありがとうございます。


・4年3組で学んだことは、まず、前は、先生が生徒に注意していても人のことやし聞いていなかったけれど、このクラスに入って、一番最初にだれかが注意された時に、先生が「その人だけじゃない、みんなに言ってるんやよ」と言ったとき、それを聞いてぼくは、注意されたときはその人以外にも、みんなに気をつけることを言っているんだとわかりました。4年3組で友達が悩んだりしていたら、自分がその立場となって考えてあげないといけないと、初めて知ることができました。自分が人の話を聞いたり答えたりしないと、自分が人に伝えたいと思っても、自分が聞いていないのだから、自分の話を聞いてくれるはずがないとわかりましました。4年3組では、本当のことを話し合えたと思います。


・学級のめあてをつけたとき、「あたたかいはんのう」ということが身についた。3年生までは発表をして終わった後は「し~」で終わっていたけれど4年生になって山先先生に「反応を返すように」と言われて、初めは難しかったけれど、だんだんなれていって、いつでもあたたかい反応を返すことができるようになった。Mは初め、授業中に立って歩き回ったりして怒ってしまったけれど、Mの気持ちを分かったら、怒らずにやさしく話せたことは、Mがいたからできたこと。もし5年生でMと同じクラスになってMがいじめられたり、変なことを言われたりしたら守ってあげたいと思いました。


・4年生の初め、授業がきらいだった私、先生の話を聞かずにボーッとしていました。でもみんなはしんけんに聞いていて、すごい!と思いました。それからだんだん問題がむずかしくなってきました。そして先生の話を聞かずにボーッとしていたせいで授業の話が分からず、ただうなずいていただけでした。でもみんながいたからちゃんと聞こう!と思って聞く力を身につけました。4の3にはMさんがいました。Mさんはそんなじーっとすわれないし、自分で分かってるけどできない!ということが分かってきました。その前はMさんの「心」に傷つく言葉を言っていました。でもみんなやさしい言葉で言っていたので、すごいと思いました。私はまねすることができました。この短い1年間ありがとうございました。


・4年の春、障がい者への思いはまだ「こわい、気持ち悪い」などと悪いことばかりでした。だけどこの4年3組に入って、総合で障がい者への思いはどんどん変わっていきました。最初は「かわいそう」と感じましたが、上から目線ということを習った時に、その思いも変わり、今では障がい者の人への思いは「すごい人だ」とかいろんないい気持ちに変わりました。他にもいろいろ変わった力がありますが、1番大きかったのはこの障がい者への思いだったと思います。


・4の3で、自分たちで授業を進めるや本当のことを話すということが学べました。うそをつかないでみんな仲間だから思ったことをはっきり言わないと自分の意見なしにすすむし、自分がイヤかもしれないから言うということをしっかり考えるようになりました。困っている人を見つけるとそのままにしておかずに助けてあげるということもできるようになりました。わからないところがあってもよく考えると分かるようになり、そこは成長できたと思いました。4の3で学んだことや成長したことはいっぱいあり、これを5年生の時にいかしだいです。思いやりもあっておたがい仲良くてよかったです。大変そうだと手伝ってあげていてよかったです。5年生になったら4の3の人とははなれるけど、5年生のクラスでもそういうクラスを作っていきたいです。


・4の3は、私にとってとっても優しく信頼のできるクラスだと思います。私が筆箱を落としたとき、Yさんが拾ってくれました。私はYさんのおかげでいろんな人に「大丈夫?」とか、優しい言葉をかけられるようになりました。Tさんは私が忘れたとき、なくしたときには貸してくれたり、困ったときは相談に乗ってくれたりしました。I さんは、私が困っていたりしたときいつも笑わせてくれました。だから私は、やさしい力、気づく力を持てました。私が持てた力は全部4年3組の力だと思います。4の3をはなれるのはつらいけど、とっても楽しかったです。今までありがとうございました。


・ぼくはこのクラスが大好きでした。でももう少しでお別れです。ぼくは昔、学校が嫌いでした。2年生後半から保健室に3/4いることになりました。でも3年生からじょじょに勇気を出していき、3/4クラスにいることができました。
1学期、最初は初めての人がいました。でもじょじょに名前を覚えて、友達が増えたなと思いました。初めてたたいたカホン。まずはなれ、練習と思いました。
2学期、運動会があります。9月上じゅんから練習が始まりました。ソーランの練習をがんばりました。でも勇気はなく、本番が心配でした。そんな中、山先先生がほめてくれました。運動会では本当の勇気を教えてくれました。
3学期、54日という短い学期です。じょじょになくなっていきます。ぼくが特に大変だったのは総合の障がい者です。新田さんとかチーム20の田中さんなどに教えてもらいました。4の3での学びは楽しかったです。5年生でもがんばりたいと思いました。


・4の3で成長したと思うことは、学級会などで自分たちだけですすめて、先生に言われなくても自分から手を挙げたりできるようになってきたり、算数もわり算の筆算を理解したり、いろいろな勉強を理解できたと思います。社会で都道府県の有名なものをクラスの人たちが言ってくれて、この県にはこんなものが有名だということを覚えたりする力が4の3で身についたと思います。ぼくは4の3でみんなと勉強できてよかったと思います。5年生になっても4の3のことをわすれずに5年生になりたいと思います。


・4の3で学んだことは、人を大切にしたり、自分を大切にすることです。私は、みんなを大切にしていたけれど、自分のことを大切にしていなかったので、そこは心がけていました。成長できたのは身体もそうだけど、心もです。3年生までは低学年だったけれど、4年生になるともう高学年でみんなを引っ張って行きたいと思うようになりました。高学年として「まだまだだな」と思ったことはあるけれど、ちゃんとできたこともあったのでいいと思いました。勉強でも先生がおもしろいことを言って教室が盛り上がったりしてとっても楽しかったです。またしたいです。4の3にいるととっても楽しかったです。


・私はMさんのおかげで気づけたことがあります。それは、人によって全然違うと言うことです。よく授業中に違うことをしていて、初めは「何でこんなんしとるん」と思ったけど、人によって違うし、1学期はあまりこれなく、保健室などにいたのが、教室に来られるようになったのはすごいと思うようになりました。これは先生からの話を聞いて気持ちが変わりました。他に、私ができないことは教えてくれたり、はげましてくれたりしました。そのおかげで、みんなに本当のことを話せるようになりました。失敗してもはげましてくれました。これは、学級目標にも入っているので達成できてよかったです。5年生になったら、もっとあたたかい反応が返せるようになりたいです。


・4の3のみんながいたから、1人でやらずに、みんなで協力してやりとげる力が4の3のおかげで生まれました。私がいつもにない顔をしていると、Nさんがすぐ気がついて、声をかけてくれました。Nさんのおかげで、いつも気持ちがすっきりします。体育で跳び箱を失敗して落ち込んでた時にOさんが「もう少しでできそうだよ」と声をかけてくれたので、自信を持つことができました。そして先生のおかげで、自分の気持ちを伝えることができました。私が困っていて相談すると、いつもしんけんに考えてくれました。丸つけをしていて大変な時も、しんけんに話を聞いてくれました。そのおかげで自分の気持ちをはっきりと伝えることができ、友達が前よりもとっても増えました。私は4の3のクラスで心からよかったと思います。1年間、ありがとうございました。


・学んだことは、算数の角度の勉強の時、I さんが少し分からなくて、何度も黒板の前で教えてもらって、説明をしていた時、私がその時気づかなかったり少し分からなかったことも、すっきり分かったり、気づけたりしたので、私はI さんのおかげでいろいろなことを学べたなぁと思いました。そのほかにも、4月に学級目標を決めた時、先生は『「いごこちのいいクラス」をぜったいいれるよ』と言っていて、その時はどんなのがいごこちのいいことか分からなかったけれど、今になって、それは、かわいそうだからとか、気をつかうとかではなく、みんながふつうに楽しく、仲間はずれとかがないクラスがいごこちのいいクラスということが分かりました。4の3はそれにぴったりあてはまるなと思いました。4の3は本当にいいクラスだと思いました。私は4の3になってよかったと思いました。5年生になってもがんばりたいです。


・1年間、4の3で学べて本当によかったと思います。1年を通してとても大切なことに気づかせてくれたのはYさんでした。帰る時に「水とうわすれてるよ」と声かけしてくれました。私はこのとき、Yさんの、気づいたら自分から動き、声かけをしているというところをそんけいし、これからは、私もまねしようと思いました。わたしは4の3のいいところは思いやりがあるということだと思います。1年間、けんかをすることもなく過ごせたので、とてもよかったです。他にもろうかを走っている人がいたらすぐに「だめだよ」と言ったり、困っている人がいたら教えてあげたり、上手にできたらほめてあげたりしているところをたくさん見ました。そして本当に4の3はいいクラスだと思いました。きっと全校で一番いいクラスだと思います。5年生になれば4の3メンバーとは別れてしまうけれど、4の3のようにいいクラスをわたしたちで作っていこうと思いました。


・4の3になって、最初はしらなかった子と話すのがきんちょうして全然話さなかったけれど、その子と仲良くなれて、それでお直しとかが全然終わらなくても、友達が「がんばれ」といってくれたとき、4の3でよかったなと思いました。先生はふだんそんなに怒らないけれど、友達を傷つけたときはすごく怒るということで、友達を大切にするということを学びました。4年生になって今までは手を挙げて発表して間違えるのがイヤで全然手を挙げてなくて、でも先生やみんなが、まちがえてもいいから手を挙げてと言ってくれてるから、今までよりも手を挙げることができました。5年生になっても、今よりも手を挙げるようにがんばります。1年間、ありがとうございました。

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Be Happy and Smile すてきな1年をありがとう

学級通信 黄金の実 最終号から

窓辺の花は、みんな、新しい年を迎え、たくさんの花やつぼみをつけています。1年間、みんなの成長を見続け、みんなの優しさと愛情と笑顔を吸収してすくすくと。

 「気の流れ」って、本当に存在すると思っています。
心地よい気が流れる空間の中でこそ、そこにいる全てのもが本来の力を発揮できるのです。

昨日もみんなに話をしたけれど、「学ぶ力」は「学ぶ気持ち」と「健康な体と心」がなければ、決して本当に「身につく自分のための学び」にはなりません。楽しさを感じた人は、苦しいことさえ楽しんで克服してしまうのです。何のために学ぶのか、自分とはちがうたくさんの仲間と出会い、その中で「本当の自分」を見つけていって下さい。

 Hさんがふりかえりに「先生がいつも笑顔でいてくれたから、私も笑顔になれました。」と書いてくれていました。

その言葉、そのままみんなにも返すね。朝、学校へ行くと「先生、おはよう!」とすぐに笑顔で声をかけてくれるすてきな雰囲気の中で始まるこのクラスが、本当に心地よい場所でした。困っている人がいると決して一人にしないですぐに寄りそい一緒に考え教え合い、その子も笑顔になっていく。素晴らしい仲間たち。問題が起きた時は、「そんなのはダメだと思います・・・」なんて人ごとみたいなコメントじゃなく「自分が悲しい、いやだ」と、自分の問題として受け止め考える優しさ。1年かけて、本当にすてきなクラスに成長してきたなぁという実感があります。28人との199日、その一日一日すべてが宝物。みんなの心の中にある「黄金の実」、この1年の成長という収穫をする日を迎えました。

今までずっと数えてきた 自分の嫌なとこ
だけど今日から そっと数えてみる 自分のいいとこ
何気ない毎日に転がっている
黄金の実はまるでくさい銀杏(ぎんなん)みたいに

学級通信「黄金の実」は、NUUさんの
「123456789,10」という曲のフレーズからつけました。

何気ない毎日、それこそが幸せ。本当の幸せ・喜び・思いは見えない、見せない、かくれてるのかもしれません。それを感じる「感性」を持って、これからも自分らしく、自分のペースで進んでいきましょう。

最近のお気に入りの曲
Superfly「愛と感謝」の歌詞から
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どんな時でも 心に笑顔咲かせたい
もがいてはまた 理想は空回る
いつもの光景

あぁだ こうだ 悩んじゃって
なんて面(めん)倒(どう)な生き物だろう
最高だって最低だって 多くは望まない
ここにいたい

今日も明日も 愛と感謝に生きよう
大切なものは忘れがちだけれど
愛しい人よ 最高の笑顔を ありがとう
大地を踏(ふ)みしめて 共に歩こう

その場しのぎの満足感や悦びが
知らず知らずのうちに
自分の首を締め付けるんだ

あぁだ こうだ 悩んじゃって
なんて貧弱な生き物だろう
平凡でいい 毎日に多くを望まない
君といたい

今日も明日も 愛と感謝に生きよう
大切なものは忘れがちだけれど
愛しい人よ 最高の笑顔を ありがとう
大地を踏みしめて 共に歩こう

Be happy and smile
**************

保護者の皆様へ
 1年間、本当にすてきな子どもたちと笑顔で過ごすことができました。キラキラ輝く個性、それぞれを楽しみながら、学びや活動をやらせてもらいました。こちらが学ばせてもらうこともしばしば。その感性の素晴らしさに感動の毎日でした。

 あの子がいるおかげで・・・。そんな言葉にあふれる教室。最高です。「本当のことを話せるいごこちのいいクラス4年3組」この学級目標のもと、しっかりと成長した子どもたちを、高学年5年生へと送り出すことができます。皆様のご協力に心から感謝です。高学年として活躍するこの子達を、また応援していきたいと思っています。ありがとうございました。


さあ4月から高学年 5年生。
いろんなことが始まるよ

でも、みんななら大丈夫

互いの良さを感じ合い、認め合い
自分らしく楽しんで
すてきなクラスを創り上げていって下さい

1年間、ありがとう
4年3組担任
山先安生

2014/11/13

これからの食料生産について 考えた

農業・漁業の学習のまとめとして、これからの食料生産について、みんなで考え合った。
自分に関係のあること、としてどれだけ真剣に向き合うことができるかがポイントだったけれど、一人ひとり、意見を持ち、そして受け止め、伝え合っていた。
それを、次は、どのように表現していくか、を総合の時間を通してやっていくことになっている。
楽しみは続く。

Koku

 農業、漁業の学習を通して学んだ、「日本の食を考える」ということ。その中で、一番深く考えたのが、自給率低下の問題だった。命をつなぐ源である「食」を、外国に任せるということは、命を握られているということ。それをみんなはよしとするかどうか。食生活の変化もあり、全て国産でまかなうことは、もうありえない。豊かな食のためには、外国からの輸入も不可欠。

 みんなで、「なぜ、外国から輸入するのか」「外国産への不安はなにか?・・・消費者として・生産者として」を話し合う。話し合いの中で気づくことがある。


いつも普通に少し、食べたものを捨てたりするけど、その人たちのおかげで食べているので、食べ物を大切にしたり、賞味期限が少ない物を買ったり、消費者にできることがあると思うので、これからできることをしたいと思いました。グラフで、アメリカやフランスは100%以上だったけど、日本はまだ100%までできていないことが分かって、このまま下がっていかないように、消費者もできることをやらないとと思いました。
自分にできることは、農業の楽しさを伝えたり、アピールしなければいけないと思うので、自分一人でもたくさん作って、安全に作れる方法を考えて作れば、みんな買ってくれるし、やりがいがあるから、仕事をしてくれる人を増やしたりして、農業、漁業を増やしていかなければいけないと思う。家にまだ残っている物から食べる。自分で作った、安心安全のお米を、自分で食べられるという、すばらしいことを、日本全国に発信していけば、みんなやってくれると思うので、そういうことをアピールしなければいけないと思いました。
ぼくは日本が100%以下で100人のうち25人くらいしか食べられないし、消費者と生産者がもめていても意味がないし。ぼくたちの班は、少しでも多くの食料自給率を上げるためにに山を少しけずり、少しの土地を田んぼにして、25%からもっと上げて、せめて100%以上になったら、一人2個ぐらい食べられるよう、おばあちゃんがやっていた田んぼをついでしようと思いました。
私が自分にできることは、今消費者で、今出てきた意見を活かして自分たちで活かせれなかったら、その意見を子どもに教えて活かしてもらう。あと、将来、もしも生産者になっても活かしていきたいです。私は買う時にその日で全部使い切るのなら、賞味期限が今日までのを買えばいいと思いました。自分たちができることはしたいと思いました。私が反対の意見は、山をこわして田んぼになって、もしやめたら、また荒れ地が増えるから、今ある荒れ地を使えばいいと思います。私は、海は木の支えも少しあるから、山をこわすと海がきたなくなって、漁業ができなくなると思います。えらい人にもお願いしたいです。
ぼくはまだ働けなくて、消費者だから、たまには外国産の物じゃなくて、国産の物を買おうと思いました。この勉強をして、将来農業や漁業を、大変だけどやってみたいなと思いました。食料自給率0%にならないようにしようと思いました。
フランスやアメリカでは、食料自給率が100%をこえているけれど、日本は100%以下なので、荒れ地を田んぼにしたり、20才ぐらいの人を増やせばいいと思いました。今、自分にできることは、スーパーで賞味期限が長いものを買うのではなく、短い物から買うということができるので、そのことをがんばろうと思いました。




食料自給率を上げるためにできることを考えると、こんなにできることがあるということが分かりました。私にできることは、賞味期限が近い物から買うことなどだと思うので、やっていこうと思いました。将来私たちが大人になったら、今よりも増えていることを願います。


今日の勉強をして、自分にできることはいっぱいあって、呼びかけをしたり、賞味期限が近いやつから買ってとか頼んだりできるかなと思います。自分がやらなければいけないことは、荒れ地などに生えている雑草を抜いたりすることです。フランス、アメリカなどの外国の国の人たちのように、日本も100人中100人以上の人たちがお米などを食べたりできるように、8班の意見みたいに、20代くらいを増やしたりしていって欲しいなと思います。
今日の勉強で、自分にできることは、自分の家の下に大きな荒れ地があり、自分の家の物なので、そこで畑を作り、7班の言ってた意見も全ては無理だから、できる分だけを作り、作れなかった分を買えばいいと思う。できていたことは、賞味期限の近い物から買うと言うことは、できてた。

最近、仕事(の種類)が増えて農業をする人が少ない。しかも、農業をしている人達はほとんど高齢者。その問題について考えてみる。
<高齢者ではなく、若者が農業を支えるため>
1 仕事を整理整頓して、今の社会にいる仕事だけ残し、入らない物は捨てる。すると失業の人たちが大量に出る。その人達に、農業を進める。
2 ぼくの家の下などにある空き地などを畑や田にする。その土地は、町の団や集まりの人達が、みんなで管理する。この案ですれば、たぶん全国の農業者数の割合が増えると思う。
<消費者としては>
1 国産を買う。という意見だと、国産は高すぎるため、逆にすればいいと思う。ドイツは賞味期限の近い物から買っているから、それをすればいい。けど、一人だけでやっていても、同じだ。けれど、CMやラジオで流したら、賞味期限の近い物からやる→食べ物を捨てる割合が減る。
この案を出せたから、実現できるといいなぁと思います。


ぼくは、生産者ががんばっているので、消費者のぼくたちもがんばりたいと思いました。賞味期限の近いのから買う。作れなかったのはスーパーで買う。自分がちゃんとやれば、一日分残しても、食べればいいと思いました。一日分の食料を買う。輸入を少なくすることもぼくもしたいと思いました。なので、ぼくもそれに協力したいと思いました。ぼくは将来、農業をやらないと思うけど、その気で将来をしていきたいなぁと思いました。
今日の学習で、自分にできることやしなきゃいけないことは、国産の物を買わないと作る人が減ってくるので、国産の物をたくさん作って国産の物が安くなると、外国産の物を買う人が減ってくるから、将来、他の職業についても、野菜など自分で作れる物など、自分にできることや、チラシなど、宣伝をして、少しでも自分にできることは自分でやろうと思いました。
私は、消費者としては、安くて、安心できて、長持ちするものがいいけど、生産者は、高く売れて、賞味期限が近いものが売れた方がいいので、消費者は、できるだけ賞味期限が近い物から買って、生産者は安心できるようにしたらいいと思いました。
もしも0%になったら、ぼくは日本の野菜や米を作ることになると思いました。消費者が生産者になることは、このままだとないと思いました。生産者は、消費者に国産の美味しさを伝えれば、生産者が増えると思います。大臣などが呼びかけてくれると、うれしいです。夢を捨てて、農業をやりたくなった。
私は、作れる物は自分で作ったり、余る物をなくしたりできることをしたいです。0%になると危ないので、一人ひとりができることをしていけば、0%になる時がなくなるかもしれないと思いました。
私は、これからの農業をやりたいと思う人には、お金なども支援するように呼びかけたりできたらいいです。あと、私ができることは、賞味期限が近いものから食べようと思いました。これからは、自分でできることはやろうと思いました。
今日、自分にできると思ったことは、農業の仕事につくか、漁業の仕事につくかの2つです。日本の食料自給率が1961年から2007年までかなり低くなっていたことを知って、もっと日本の自給率を自分で上げていこうと思いました。自分の将来は、自給率を支える職業につきたいと思います。今日の授業は、将来にも関わっているので、大人になってもこのことは忘れないでいたいと思いました。
ぼくは、農林試験場の意見がいいと思いました。消費者は、安ければ安いほど買っていってくれるからです。なので、生産者は、できれば安い物を作ればいいと思いました。消費者は、値段が安いものじゃなくて、美味しさにこだわればいいなと思いました。自分で作った余った物を、親せきにあげたりすればいいと思いました。外国産を高くすればいいという意見は、だめだと思います。なぜかというと、高くすれば消費者から、もうけるためだと文句が来ると思うからです。
自分が母や父に、国産の物や賞味期限の近い物から買ってという。そして、自分たちがもっと捨てないように食べれば良い。一日分だけではなく、近い物から買い、買いすぎてもぼくたちが食べれば良い。アメリカやフランスは、100%以上なので、自分たちの国は足りているということだけど、日本は100%に達していないので、どんどん減っているので、国産がなくなり、外国産だけになるので、生産者を増やさないといけない。それで8班が出した20才ぐらいの人で生産者になってもらい、やってもらえばよい。ぼくはたぶんこのまま消費者だけど、ぼくは自分にできる賞味期限の近い物からとっていこうと思いました。
私はスーパーとかで前に置いてあるのは、賞味期限が近いので、なるべく賞味期限の近い方から買おうと思いました。あと、外国からの輸入を少なくすればいいんじゃないかなと思いました。外国産と日本産だと値段が違っているんだなーと思いました。これから農業とかをいろんな人がして欲しいし、私も農業とかをしようかなと思いました。私が大人になったら、0%とかにならないように、私のできることをしたいと思いました。
私は大人になったら、生産者側にはいかないと思います。だけど、ちゃんと大人になったら賞味期限が近い物から食べたりしたいと思いました。自分たちにできることをしていきたいです。
自分にできることは、宣伝や新しく農業などを支援するなどを、できたらしようと思いました。宣伝は、紙に書いて町中などに配る。支援は、みんなお金目当てなので、少し支援をしたらいいと思いました。自分の家でも作れる食料は自分で作ろうと思いました。今の私たちでもできることを、親の人たちと一緒にしようと思いました。
ぼくがしないといけないことは、賞味期限の少ない物を買うということです。でも、みんながそれができないかもしれないら、やっぱり、外国からの輸入は絶対必要なんだと思いました。でも、もっと国産が安くなればいいなと思いました。
今日やって、自分がやらなくちゃいけないことは消費者で5班が考えた賞味期限の近い物から買うのだったりしてみると、本当に考えると、僕は難しいんだなぁと思いました。食糧自給率を少なくしてはいけないので、そこはもっともっとみんなで考えなきゃいけないと思いました。それで最後のを見て、友達のお父さんが、W農産として働いていることは知っていたけど、あんなふうにして農家をやってみないかとかをやっていて、すごいなと思いました。

今日、社会がありました。食料自給率の問題でした。グラフを見たら、フランスとアメリカと日本の食料自給率が書いてありました。フランスとアメリカは100%を超えているけれど、日本は100%より少ないことが分かりました。そのことで、消費者の立場でぼくたちの5班は、賞味期限の近い物から買うで、いつもぼくは、賞味期限の最高になっている数字を買っているけど、期限が近い物で買ってくれなかったら、その店で捨てちゃうので、でも、だからといって期限が近い物を買うと次の日に食べなくちゃいけなくなって、食べられなかったら捨てちゃうことになるから、なんかそういうことは、本当に難しいことなんだなぁと思いました。でも決めるのは自分たちだから、決めないといけないと思いました。最後にあった友達のお父さんのことで、石川県で、しかも本の1巻の最初の所にのっていることは、すごいと思いました。農業を本当に愛してやっているんだなぁと思いました。


自分にできることは、農業をしたり、国産を増やす、日本を守る、若い人たちに農業で働いてもらうため、いいイメージを見せるなどができることで、こういうことが自分がしなきゃいけないことにつながっていくと思いました。このままでは、生産者も消費者も大変なことになるから、できることをもっと考えていきたいです。
ぼくは、こんなにも自給率が減っているとは知りませんでした。浪分さんが言ったように、20才あたりの人や孫などに任せて、自給率を増やしていけたらいいと思いました。それに、自分にできることもたくさんあるし、とくに、荒れ地の草むしりだと思います。
自分がしなければいけないことは、これからの食料自給率を増やすために、今回食べる分だけ買ってと言おうと思いました。
このまま日本の自給率が減っていき、0になったら、国産は全滅して日本のお店の商品が全て外国産になってしまうから、土地や荒れ地を使って田んぼを作り農業を始めたり、いろんな工夫するなど、今自分にできることをすれば、これからの日本の未来、自分の未来のためにがんばっていきたいなと思いました。そして、日本の自給率を外国の何倍も上げていきたいです。僕は、みんなのたくさんの意見で発表できたと思うし、みんなの意見で国産を増やせると思いました。
お母さんは、お肉や魚などは外国産ばかり買っているので、次に買う時は、なるべく自分から、国産を買うように頼もうと思います。でも、日本産ばかり買ったら、日本の生産者は喜ぶけど、ずっとスーパーに置きっ放しの外国産の食材のことを考え、外国の生産者の人の気持ちを考えると、ちょっとダメなことだなと思いました。
ぼくは、こんなに自給率が減っていると初めて知りました。消費者や生産者が何か言っていても、最後はダメになってくるから、友達の意見の、20才くらいを増やして農業・漁業をやっていけばいいという呼びかけをすればいいんじゃないかということを、思っても、政府が、お米が余った時、もう作るなと言ったのをその20才くらいの人が知っていたらダメだし、やれる人はどんどんやっていって欲しいから、町の荒れ地や何もないところはあまり家を建てなかったら、生産者の住む家を探してもなかったらダメだし、そんなに人が家を建てたらこんなに田んぼが少なくなっていくから、そこは平等にして、住んだり田んぼを育てたりして欲しいです。
私は3班の考えで、町内に荒れ地があったら、町内の会長に相談して、町内で野菜を作れるようにしたりすればいいと思いました。6班の考えで、確かに1日に食べる分だけにすれば、金のむだ使いにもならなくていいアイデアだと思いました。
私は、自分がしなくてはいけないことは、まず賞味期限の近い物から買うことだなと思いました。いつも何か買うとき、一番奥にある、賞味期限の遠い物から買っていたので、気をつけたいです。
僕はこのまま減り続けたら、日本の生産者がいなくなるので、賞味期限の近い物を買いたいです。また、自分も日本の自給率を増やすために、農業をやってみようと思いました。荒れ地もあるので、そこも使いたいと思いました。
ぼくは今日の明日も消費者で、ぼくのお母さんも消費者だけど、生産者と消費者がけんか(言いあんこ)をしていたら、どちらとも困るので、消費者と生産者が仲良くして、少しずつでいいので、国産も買っていけるようになれば、アメリカやフランスぐらいに2100年ぐらいにはなっていて欲しいと思いました。そして、いいイメージを作れば、これからしていく人も多くなると思ったし、浪分さんの20~59才を声かけしていけばいい。消費者でも、子どもでも、お母さんに「賞味期限の近い物から買って」と言って、今の自分にできることをしていけばいいと思いました。でも、山を削ったらダメだと思いました。
このままでは、日本の国産が0になってしまうということなので、外国の物を食べて生きていくということになるから、国産を増やすためにできることをやらなければならないから、増やすためにはまず「自分」からやること、自分の畑ではいつも夏だけ育てているけど、冬はありません。なので、今年からでも冬とれる物も育てようと思います。スーパーに買い物に行く時、お母さんはよく、賞味期限が遅い物からとっているので、教えてあげたいです。山をけずれば、得る物もあるけど、失う物もあり、困ることがあるということが分かりました。これからは、国産を0にしないために、自分にできることをがんばってやっていきたいです。
私たちが大人になる時に、農家を出せばいいと思ったけど、他にもやる人がいない場合は、町や国で荒れ地を田んぼなどにしていくしかないと3班の意見で気づけました。また安くてみんないらない物まで買うから、いくら安くても買わない(必要以外)ということも考えました。
ぼくがしないといけないことは、まず消費者として、賞味期限の近い物から買うということ。それはできそうなんで、しようと思います。それやほかにもできることがあるかもしれないからしたいです。ぼくが大人になったら農業をするかどうか分からないけど、大人でもできることをし、できることなら何でもしていきたいです。自給率が減って行き過ぎているから、何とかみんなが協力して、自給率を増やしたいです。ぼくの父は農家なので、できれば受けついで他のみんなや他の農家の人たちをしっかり受けついで、どんどん自給率を上げ、日本が世界一になるくらいがんばっていきたいと思いました。フランスやアメリカをぶっちぎりでがんばっていきたいです。農業を誰よりもがんばって、農業を愛していきたいです。
 新しく農業をする人に金を支援すれば、農業をしてくれる人が出るかもしれないと思いました。農業試験場などで宣伝すれば、農業をしてくれる人が出るんじゃないかと思いました。そうなってくれるといいと思いました。日本の食料自給率は少ないから、国産の食べ物は、残さないようにしたいです。
自給率の中には、食べずに廃棄される食料も含まれている。輸入しているのと同じほどの食料が、捨てられているという事実を知り、自分の食に対する思いを見つめ直す時間も持てたようだった。

最後に、インターネットに載っていた記事を紹介した。


 「コンビニ弁当の代わりになるような安心安全で安いお弁当屋さんの見分け方教えて下さい」っていう人たまにいます♪

 いつも答えは簡単です。 「自炊する」です。 

 それが面倒臭いというなら話は終わり。
 動物にしても野菜にしてもその命を頂くのに「面倒臭い」とか「簡単に・・・」なんて言えないです。

 中には「俺は忙しいんだ!!」という人いるかもしれませんがどんなに素晴らしい仕事だとしても頂く命の方が尊いと思います。簡単便利で安いと言うのは経済社会が作り出した幻想です。

 そういう物に 本当の栄養はありませんし尊い命を安易に売りさばくための口上でしかありません。


友人の林農産や、岡元農産、そして和多農産の話も子どもたちにしている。 命を繋ぐ仕事に誇りを持ち、そして楽しんでやっている人がいるという事実からも、学ぶことがある。 将来、みんなが農業をする必要はない。 それぞれ、自分のやりたいことに、誇りを持ちながら向き合うためにも、今回の学び合いは、とても大切なことだったな、と思っている。

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ハチドリのひとしずく から

私は、私にできることをしているだけ
ハチドリのひとしずく
Photo

森が燃えていました

森の生き物たちはわれさきにと逃げていきました

でもクリキンディという名のハチドリだけは行ったり来たり口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落としていきます

動物たちはそれを見て
「そんなことをしていったい何になるんだ」
と笑います

クリキンディはこう答えました

「私は、私にできることをしているだけ」


 この物語を受け止めたクラスのみんなは、こんな風に書いてくれました。
 子どもたちの素直な感性と、クラスの雰囲気。
いろんな人がいるからこそ、学びあえるということを、今年も子どもたちから学ばせてもらっている。


 どれだけクリキンディが山を大切にしているかがわかりました。私は、私にできることをしているだけといったときに、精一杯火を消していることがわかりました。私は、当たり前にできることをしてきませんでした。これから私は、私の全力をつくしたいなと思いました。

 そのあとにいろんな動物が集まってきて、森の火は消えると思います。ハチドリの一言でみんなが集まってくるんだと思います。すみかが燃えてしまった動物もいるかもしれないけど、みんなでゆずりあって暮らしたんだと思います。
 思ったこと
 私もハチドリのように、自分の精一杯のことが当たり前にできるようになりたいです。今はまだそのことができていません。まず自分の名前を呼ばれなくても、それは自分に言っているんだと思い、すぐに行動できるように意識してがんばろうと思います。そのことを、自分に身につけたいです。


 クリキンディの言ったことが森の動物たちの心にひびいて、動物たちも、今できることをして、森の動物みんなで森を守ろうとした。何時間経ったことか・・・最後には森の動物みんなができることをしたから、火事を止めることができた。
 この本を読んで、動物はなぜハチドリがしている行動を笑うのかなと思っていました。でも考えてみると、こんなに燃えているから、もうあきらめたのかなとか、ぼくたち(動物)は、こわいなとか思っているのだと思いました。  先生が最後に、動物たちにもできることがあるが、それを忘れているのではないかと言っていたので、私はそのことから、動物たちはハチドリは空中に浮くことができるから、それで自分にできることをやっているのだとわかり、動物たちも、ぼくができることをしようと思って戻ってきて、みんなで助け合って火を消したと思います。そして森も、元に戻ったと思います。
 ハチドリはすごく森や周りのことを思っているんだなぁと思いました。今、自分にできることをハチドリは、やりつくしたんだと思います。それに対して、森の動物たちは、森が燃えているのに無視をしてひどいと思いました。

 その次の日、そのハチドリは火を消している途中に力尽き、火の中に入ってしまい、焼け死んでしまいました。その様子を見ていた森の動物たちは、気づきました。それは森との友情でした。森はもうなくなってしまいました。しかし動物たちは、木を何本も植えて、また森を作りました。そうして森を大切にし、動物たちは毎日を過ごしました。するとある日、ハチドリは生き返りました。ハチドリが生き返ってから数年たつと、また火事が起きました。すると、次は森のみんなで助け合い、はげましあった結果、森は助けられませんでしたが、このようにがんばって、助けられなかったけど、今できることはもうやりきったから、悲しまなくていいよとハチドリがいい、森は消えたけど、森の動物と森のきずなは消えぬまま、年があっという間に過ぎたそうです。


 森の動物たちは、自分たちが先だと逃げたけど、はちどりは努力を重ね、火が消えてまた楽しい森になったらと思ってがんばっていたのではないかと思いました。動物たちが手伝わなかったのは、自覚がないからだと思いました。私も今までは、森の動物たちみたいに逃げていたかもしれないけど、今は、クリキンディみたいに森を守る気持ちで努力を重ねていきたいと思っています。

 クリキンディに言われた言葉を聞き、森の動物たちも自分にできることを考え、行動した。すると真っ赤にそまっていた森が、みんなの努力のおかげで、火はみるみる消えていった。だが、森は焼け焦げ、真っ黒になっていた。でも、みんな立ち直り、焦げた木などを取り除き、また新しい木や花の種をまいた。すると、きれいな森がもどってきた。動物たちもクリキンディも大喜びだった。そしてクリキンディは「この新しい森で前のように楽しく笑顔ですごそうね」と言った。動物たちもクリキンディの言葉に思わず笑みがこぼれた。そして10年たった今でも、きれいに森は使われている。


 ぼくも最初は森の動物たちみたいに「何をしてるだ、早く逃げろ」と言っているだろうと思いました。なぜかというと、今まで何かが起きても、「みんな、離れて、先生を呼んでくるから」と言って助けないで、他の人に任せるからです。でもクリキンディはの一言を聞いて、クリキンディみたいに人を助ける人になりたいなぁと思いました。
 あれからハチドリは、ずーっと一滴ずつやっていって、動物たちが気づき、自分たちもできるだけのことをやろうと思って、ずっとやっていったら、森の炎が消えたと思います。理由は、ハチドリが言った一言の、自分ができるだけのことをやっているだけです、に、動物たちもやろうと思ったんじゃないかなと思います。
 クリキンディが火を消そうとしたとき、他の動物に、むだなことと言われたけど、自分にできることをしているだけと答えていたところから、森がなくならないようにしたいんだということがわかりました。何もしていない動物は、むだとか言っていて、ダメだなと思いました。森を守りたいということと、住む場所とかを守りたいんだなと思いました。これから自分にできることをしたいと思ったし、他の動物たちみたいに、笑ったりしてバカに絶対したらいけないと思いました。
 ハチドリが思いのほかずいぶんがんばっているなと思い、動物もみんな命がけでやって、森の火は消えて、これからどんなことがあってもがんばって、その災害を乗り越えて、ハチドリを見習いながら生きていくのかなと思いました。
ラ「自分のやれることか…精一杯自分のやれることをやろう」 ハ「みんな手伝ってくれるの?」 ラ「気が変わったんだ。あのみんなで楽しく過ごしていた日々をもう一度過ごしたくなってね。」 ひ「とりあえず、水をみんなでくんで運ぼう!」 全「おー!!」 10時間後 ハ「みんな、ありがとう!みんなのおかげで火事を止めることができたよ!」 ラ「いやいやそれより、ハチドリが思い出させてくれたものが一番ありがたいよ。これからみんな仲良く暮らしていこう!」 ラ・・・ライオン ハ・・・ハチドリ う・・・うさぎ ひ・・・ひょう 全・・・全員
 火事を消せたと思います。なぜかというとハチドリはすごくがんばっていたし、あれからほかの動物も手伝って火を消せたと思います。ぼくも最初からできんことを言ってないで、できることを全てやってみて、それから結果を言おうと思います。それから、周りの動物たちは、たぶん、あきらめていたんだと思います。がんばっているハチドリをばかにしていて、「そんなことをして、火が消えるわけがない」と言っていたから、あきらめていたんだと思います。このお話が本当にあるのだったら、すごいなと思います。図書室に並べられたら、借りてみたいです。
 最初は大きい火を消せないと思っていたけど、自分にできることを精一杯すればいいというハチドリの言葉を聞いて、今、自分にできることをすればきっとなにか大きなことでもできると動物たちは思って、みんなで火を消すことを手伝って、ついに火が消えて、森がいつも通り平和になっておしまい・・だと思います。
 「今は、私にできることをやっているだけ」という言葉を聞いて、まだ間に合うかもしれない、そう思った動物たちは、口に水を加えて水をかけました。そして何分かすると、火はどんどん消えていって、とうとう火を全て消しました。動物たちは、自分ができることをやってよかったと思いました。それから何日かして森は、復活しました。ハチドリや動物たちは、あの時大変なことでも、やっていなかったら今頃死んでいたかもしれません。だからできることがあったら、すぐにやるということが大切です。あきらめたらすぐに終わってしまうから、あきらめないということがすごく大切です。
 ハチドリは、とうとう力尽きて落ちてしまおうとしたら、他の鳥たちが拾ってくれて、突然、雨が降ってきて森の火が消え、みんなでまた森をきれいにするために、木の苗などを植えて、森を育てていく。
 その後もひたすら一滴ずつ炎の中に入れていました。ハチドリは、お願い、誰か助けて。みんなで一滴ずつやれば炎は消えて、森が助かるのに!!と思っていました。でもみんなは助けてくれず、ハチドリのことはすっかり忘れて、おしゃべりを楽しんでいました。でもたった一匹の子ウサギが言いました。「どうしてみんなはこんなことができるの?みんなで守らなきゃダメだよ」その言葉を聞いて、みんなは今まで忘れていたかのように目覚めて、水を一滴ずつ運んだのです。何時間もずっと続けると、炎はなくなりました。その後はハチドリにみんなが「ありがとう」とお礼を言って、感謝しました。そしてその事件からは、みんなは自分が今できることを探すようになったのでした。
 ハチドリの一言で、熊の親子など手伝ってくれたり、みんな手伝ってくれたと思いました。そして火が最後に消えたけど、ぼろぼろになったと思いました。けれど森をまたよみがえらすためにみんなが協力して、森がまた元の姿にもどって、みんな自分にできることを一人一人ががんばってできたことだと思いました。そしてぼくが思い浮かんだ言葉は「協力」ということです。一人一人ががんばれば、すごいことができると思いました。なので、この5-3が一人だけがんばるのではなく、みんなで協力してすばらしい5-3を作っていけたらいいと思いました。
物語から、自分のことを、そしてクラスのことを考えていく。 本当にすてきな子どもたちです。

われは草なり を読んで

5年生の国語科に、ずっと載っている
「われは草なり」 高見順

2学期の始めに、この詩から受け取ったことで学びあう。
子どもたちの感性を、とてもすてきに思った。


 今日の国語の授業で高見順さんの言いたかったことは、たぶん自分と草も同じ命で、(目標を除いて)他人になりたいと思っても、他人にはなれないし、それに、たどり着かない。自分を大切にしなければいけないということ。テレビでは、サッカー選手の本田が、今自分が経験していることは、世界で自分しかいない、だから今日、今をしっかり生きて、ちゃんと努力すれば、これから好きな仕事ができるようになったりする。そういうことを、これから、今からすれば、好きなことをできるし、ほかの人と違う経験ができるから、これから努力しようと思った。


 私はこの詩を読んで、楽しいときやつらいときがあるけど、自分が好きだ!という感じがしました。
友達の意見
・もっともっと、長生きし、楽しく過ごす
・毎日姿は同じでも、ちゃんと生きている
・人生の美しさ、楽しさを感じた
・動かない草でも、ちゃんと生きている
・自分の願い


われは草なりを読んで
 高見順さんは、人間でも草でも、他の人がどれだけすごくても、その人に完全になることはできないし、他の人をまねしたら、自分のすごいところがなくなってしまって、自分らしさが消えてしまうので、高見順さんの言いたかったことは、、どれだけ他の人がすごくても、その人になろうとすると自分じゃなくなってしまうので、「いい人」になろうとせずに、自分のペースで自分のやり方で、自分らしく自分の生き方で生きていくと、生きる美しさ、生きる楽しさ、生きるうれしさ、生きる感動などが感じられるので、この人生を自分自身で作っていき、生きていこうと思いました。


 たぶんこの詩は、自分は草で伸びられるとき伸びて、伸びられないときは無理して伸びないで、自分の緑にあきないってことだと思いました。たぶん、草の命を生きんとすっていうのは、草の命を生きたいってことだと思いました。私もちゃんとこの詩の中で、緑のおのれにあきぬなりって言ってたので、自分にあきないでいこうと思いました。先生が、まねしてもその人に勝てないって言っていたので、まねとかしないでいた方がいいので、この詩の意味が分かりました。


 私がこの詩から学んだことは2つあります。一つは命の大切さです。草だって生きる日の美しさ、楽しさを感じています。生きる日一日一日を大切にしたいと思いました。2つ目は、自分は自分でいいということです。この詩の一部分に「緑の己にあきぬなり」というところがあります。草も緑の自分にあきたら、自分にいやになるし、ほかの人になろうとしても、絶対その人になれません。なろうとしたら、自分が自分じゃないみたいです。なので私は、今の自分でずっと生きていきたいと思います。最後に、これから児童会や金管など、精一杯にがんばっていこうと思いました。


われは草なり
高見順

われは草なり 伸びんとす
伸びられるとき 伸びんとす
伸びられぬ日は 伸びぬなり
伸びられる日は 伸びるなり

われは草なり 緑なり
全身すべて 緑なり
毎年かはらず 緑なり
緑のおのれに あきぬなり
われは草なり 緑なり
緑の深きを 願ふなり


ああ 生きる日の 美しき
ああ 生きる日の 楽しさよ
われは草なり 生きんとす
草のいのちを 生きんとす

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2014/04/20

学力のとらえ方 今こそ、このときの学びを活かしたい ~学んで来たこと5

新しい学力観を生かす指導と評価 北尾倫彦 H8年8月 小松市公会堂

新しい学力観という提案があって、もう20年が過ぎようとしている。
その間に、全国学力調査というものも始まり、北尾さんの危惧されていた「昔の偏差値評価に帰ってしまう」という部分は、果たしてどうなっているのだろう。

今、また、このときの学びを活かしつつ、みんなとともに、これからの社会に必要とされる学びについて話し合いたいという思いがわき起こっている。


新しい学力観の背景
知識偏重教育からの脱却

 アメリカの教育者は、学力の量でなく、質を良くしようとしている。2つの学力の重視であり、一つは論理的思考力、もう一つは内発的動機づけである。これからの教育は、一人ひとりの個性を生かした、人間としての生きがいを持てるような教育に変えていくことが大事なのであって、教育の量的普及ということはもう終わった

 明治5年からの日本の学校教育は、一斉画一的な方法で成功したが、質を良くするといった点では少し問題があるという反省がある。こういう反省がイギリス・アメリカ・ドイツ・フランスなど各国で起こっている。

 なぜ学力を問い直さなければならないかというと、時代が変わったということ。
 一つは情報科学が発達した。生活の隅々までコンピュータが行き渡る時代ももうすぐ。そうすると、情報を保存するという仕事は人間がしなくていいのだ。コンピュータが覚えてくれる。これを外的記憶装置という。頭に覚えておかなくても、すぐに必要な情報を引き出すことができる。ある情報学者が試算したところ、人間が小学校から大学までに習得する知識の量をコンピュータに入力すると、1メガのメモリーチップ1個分にきれいに入ってしまう。値段にすると、千円程度。(フロッピィーディスク1枚分と考えたら百円ぐらい!)たった千円の値打ちをつけるために小学校から大学まで教師が一生懸命黒板の前でつばを飛ばし、試験で締め付け、入試で追い立てている、そう考えたらとても滑稽なことに思える。 膨大な量の覚えることは機械がやってくれる。そうすると、人間に求められるのは?


生涯学習時代への対応
 もう一つは、生涯学習への対応。社会の変化がどんどん激しくなってくると、学校時代に学んだ知識というのは瞬く間に陳腐なものになる。知識の価値が下落する。社会に出てからも学び続けなければならない。学問や科学や文化の世界はどんどん新しくなっていく。そうすると、知識はそれ自体として価値がない。イリッチという学者は「脱学校論」で、学校はもういらないという極論を発している。そういう時代で、学校は必要である、社会の中でこんな役割があるということを、学校の教育目標で主張しなければならない。それは、生きる力、よりよく人間らしく生きる力を子どもたちに与えることである。知識を持つのではなく、知的であること。いい学校の卒業証書があれば一生安泰であるというのでなく、社会へ出てからも学び続けなければならない現代を生き抜くための、根っこの部分を鍛えておくのである。

 すなわち、情報化社会・生涯学習時代、さらには国際化という大変変革の激しい時代に、学校が社会で大事な役割を果たすためには、学校の目標である学力そのものをもう1回見直そうということが起こってきたのだ。


新しい学力観の理解
何を重視するのか

 思考力が大事であるが、教師の中には、論理的思考力だけを大事にする、すなわち、一つの答えに間違いなく到達する筋道の取れた考え方だけを大事にするという考え方が強すぎる。思考力とは、もっと幅広い概念なのだ。特に、新しいものを見つける、クリエイションという仕事をするためには、拡散的思考力というものが大事。広がるような思考力、いろんな方向へアイディアを広げていく思考力を小さい頃から鍛えておかないと、個性や発想力は育たない。拡散的思考力には、直感力とイマジネイションが大事。今までは、授業の中に正しい答えが出るのを求めすぎた。

 思考力と判断力はどう違うか。一緒にしてもいいが、思考力は記号とか文字とか数字を操るような机上の学習を指し、判断力とは、社会的な、複雑な文脈の中で、値打ちのある物を見定めたり、自分の意思決定をしたり、自分と他人との文脈を正しく捉えたりするような、社会的な思考力のことを指す。それから表現力。教師は言葉による表現を重視してしまうが、新しい学力観では、それに加えて、自分を出しきる、自己表現を強調した。これが時代的要請なのである。


 もう一つの柱は、内発的動機づけである。これが新しい学力観の特徴である。これまで日本の学校は、意欲を大事にしてきた。日本人はやる気とか勤勉とか努力とかを重視する国民性だから、そういう意欲を大事にしてきた。精神主義的な教育論が、日本の学校や家庭の隅々まで行き渡っている。日本人は、真面目に努力して頑張る。その点の意欲は高い。しかし、今回は、意欲の高さだけを問うのではなく、内から発するという、内発性を大事にしたいのだ。今までは、外から強いられた意欲であった。(外発的動機づけ)

 意欲を教育目標にしたのだから、内発的な意欲を持っていること自体に価値を見出したい。しかも、意欲前提論(はじめに意欲ありき)、意欲原因論をきっぱり捨てて、今度は意欲を結果として、目標として重視する意欲目標論にきり変わったのである。(学習によって意欲が出てきた、持つことができるようになった)

内発的動機づけを育てるための3つの項目

 1つは自己効力、自己有能感 (セルフエスティーム) を育てる。
 2つ目は交流感を大事にする。
 3つ目は、自己決定への欲求。すべて自分というものが生かされるかどうかという、人間的欲求と結びついているのである。

 これまでは、教材さえ工夫すれば意欲が引き出せると考えていたが、これからは、どんな活動を学校の中でさせるかという、子どもの活動そのものが大事になる。教材の工夫は、好奇心にうったえるだけ。それでは本当の意欲は育たない。内発的学習意欲を育成するためには、学校の教育活動が根本的に変わらなければいけない。


学力構造の捉え方
 知識や技能はどう考えるのか。
 これまでは、基礎・基本という言葉に隠れて、子どもたちに知識や技能を押し付けるという教育をやってきたのではないか。今回、この知識・理解・技能という観点の位置づけを変えようとした。

 基礎から積み上げていくことは大切だが、基礎としての部分が増えすぎた。精選を試みてきたができない。学校教育という限られた中でこれをすべてやろうとしたら、パンクする。今回は、重層的に積み上げるという学力構造の捉え方を根本的に変えようとしている。知識・技能・思考・表現といういろんな学力は、横に並べて並行的に引き出せばいい。先に知識があって、後で思考があるんじゃない。学習の順序性による重みづけではない。

共感的児童理解
 子どもの一段上から問いを発する、言葉をかけるのでは、子どもの内面を理解できない。

評価基準の作り方
 評価とは測定(メジャーリング)ではなくカテゴライゼーション(分類)である。1点2点で順番をつけるのではなく、ここまでできたらAにしようとかである。評価の基準を学校単位、学年単位で話し合い議論しあって作ってもらいたい。自分たちの学校の評価はこれで行くというものを。

 日本の学校要覧には、本当に役に立たない。何年に体育館ができたとか、校長が何人替わったとか。どんな学力を創るかはさっぱり書いてない。小中学校も競争の時代が来る。その時に、この学校へくれば、こんな学力をつけられるということが大事になってくる。それを尺度で示すことが必要。評価尺度があれば、評価に客観性が出てくる。

 塾と学校の独自性をはっきり出すためにも、新しい学力観で評価している学力が本当の学力だということを、保護者に向かっても、児童に向かっても口を酸っぱくして説得してほしい。そういう啓発活動を校長が先頭に立ってやるということがないと、いつかはこの学力観に基づく評価というのは崩れて、昔の偏差値評価に帰ってしまう。日本の教育を、本来の形に戻す、ということが改革である。21世紀とか国際化ばかりが大切なのではない子どもを生かすというために、教師だけでもいいから正しい目を持って、子どもたちを正しく評価してほしい。

授業を創っていく時に、大切にしたいこと 学んで来たこと4~清水先生の講義から

清水研究室(~金沢大学 現・筑波大学教授)
ゼミなどを通して学んだこと
97/2~

 清水紀宏さんの講義で考えたり、気づいたりしたことをまとめておいた物。中学校の部活動など、地域や行政をも巻き込んで考えたいことがたくさんあった。


◎部活動について
今の部活動の在り方には問題があると言われている(教師主導・勝利至上主義など)。しかし、多様な子どものニーズに答えるだけなら、地域に移行してしまった方がいい。学校に部活動を残しておかなければならないなら、その理由を教師が把握しておく必要がある。

◇学校教育の一環として部活動をすること
◇学校という場を使って、教師も指導して部活動をすること

この2つは、全く視点が違う。

地域に受け皿がない・今地域へ出したら、なおさらチャンピオンスポーツとしてエスカレートしてしまう・放課後ヒマだと何をするかわからない・帰ってからまたどこかへ行ってスポーツをするのは大変・金がかかる・・・だから教師がお守りをしてあげている?

スポーツを教える場所・サービスとしては、民間のスポーツクラブにはかなわない。(教えることが好きで、競技志向のスポーツその他をやりたい人は、地域のスポーツインストラクターとして指導もできる。学校でやる必要なんてない。)

民間に委託した場合、学校よりもっと効率良く指導してくれるので、上級の人はもっと伸びるだろうし、できない人はできるようになっていくだろう・・・民間企業は、ノルマが達成できなければ死活問題となる
しかし、そこ(民間)には自分と違ったレベルの人たちとの交流の場が用意されているかといえば、そうではない。


学校とクラブの違いはそこにある。
 ますます少子化が進み、同じレベルの人が集まって何かをするということはこれからもっと困難になってくるだろう。そんな時、どんなレベルの人が集まったとしても、その仲間で何ができるか考えられる人間を育てることが、教育に求められているのではないだろうか。それぞれ違った価値観が集まり、それを理解し、その中でどう経営していくか考えることが学校での学びなのである


今の部活動では何が問題?
 一般には勝利至上主義の弊害が言われているが、問題はその事だけではない。
 例えば、部活動で頑張っている生徒が、部活動に入らない(入れない)人をどう思っているのかということを考えたとする。

『そんな人はどうでもいい。部活動はやりたい人がやればいいんだ』

これでは、教科体育で何も学んでいないといえるだろう。
 子どもたちが、この事に何も問題意識を持たないでいることが、問題なのである。クラブをやめた人がいたとして、それを「学校の問題、教師の問題、家庭の問題、その子の問題」と片づけてしまうことが・・・。

 生徒が「自分たちに問題がある」「受け入れられないこのクラブのシステムに問題がある」から改善しなければならない、と考えられないことを、学校教育の問題点としてとらえる必要がある


 大切なのはこの部分。おかしいところがあるならば、自分たちで行動し、変えていこうと発想できること。学校で教えたいのは、これ。これだけといってもいいくらい。清水先生との2年間を通して一番学んだのはこの部分だった。


◎めあて学習について
 伝える文化(めあて2)と創る文化(めあて1)

 めあて1の捉え方はさまざま。今までは一様に「今持っている力で、連続したりきれいにしたりすること」のように捉えてきてしまった。もっと違った捉え方ができるはず。例えば遊びを拡散的に創り上げることや、他の人と共有することなども。一つの考えに縛られることはない。

 他の人のスポーツのやり方について認めることのできる力

 もともと体育は他の教科と違って(芸術系は同じような側面を持っているが)楽しむために生まれてきたものである(プレイ論)。それが、近代スポーツの、一部のブルジョワ階級のスポーツが正しいもののように広まり(できる人が楽しい競技型スポーツ)他の価値観を受け入れられなくなってしまった。

新しいものを生み出せなくなったら、これからは、ただ衰退あるのみ。

 めあて学習に対する批判はたくさんあげられている。しかし、それはめあて学習の欠点なのか、めあて学習を理解しないまま取り入れた教師側の力不足だったのかは分からない。ただ、めあて学習には、今までの学習では身につくことのなかった力がついていくことは、実証されている。今までつかないとされてきた、技能が、めあて学習によっても確実につくことがわかってきたのである。この方法を正しく理解して続ければ、10年後には、今までよりもっと高いレベルの技能がつくかもしれない。大切なのは、どうしたら児童が主体的に取り組み、その結果いろんな力をつけるようになるのか、一緒になって考えること


 新しい学力観には、2つの思考力が必要とされている。

 一つは論理的思考力(なぜできないのだろう、どうしたらできるのだろう)、

 もう一つは拡散的思考力(こんな事もできる、これができるのなら、こんな事もできるんじゃないかな)

 論理的思考力は、その先に答えがあるものだけど、拡散的思考力は、こうなればいいという答えのないもの。したがって、教師にとっては、ジレンマが起きやすい。しかし、新しいものを生み出す時には、この力が非常に大切でもある。


自分が知っていることを伝えるのは、マニュアルなども存在し、教師であればある程度できること。 しかし、自分が分からないことを、ともに創造していく作業は、とても不安があり、苦手とする人もいるわけで・・・。でも、必要なのは、この部分なんだよね。

教師は、自分の器の中に子どもたちを閉じ込めてはいけないのだということを、いつも自分に問い直していなければいけないのです。

大変だけど、それは、自分を広げるチャンスでもあるのです。
そのためには、とにかくたくさんの人と出会い、物事と出会い、気づかせてもらえる環境を持っている必要があるのです。

ってことで、fun fanの仲間との出会いは、とても豊かな環境を創り上げてくれているのです。

清水先生がよく言っていたのは、
物事を、一つの方向から見ない
ということ。

教育のことは、教育のことだけをやっていて身につくはずがない。
多様な人間性を育てる学校という場所、教育という仕事は、多様な考え、仕事、環境にいる人たちと関わらない限り、狭い狭い押しつけになっていく。


自分の人生の楽しみとして学んだことを、学校でも最大限に活かす。
そう考えると、わくわくしてくる。

それはきっと、子どもたちにも伝わっていくと信じてる。


2014/04/19

体育科授業について学んだこと 3

『現代の教育と小学校体育の課題』 ~生きる力の充実を求めて
96/12/25 金沢市 三馬小 筑波大学教授 佐伯 聰夫


《 学習する子ども 》

「らしさ」の喪失・・・子どもらしさ、大人らしさ、男らしさ、女らしさ、先生らしさ・・・
 従来の社会にあった明確なモデルが喪失した。
・子ども像(観)が失われてしまった・・・早くから大人らしく振る舞うことの押し付け、プレッシャーをかけられ続けている
・消費者教育(消費する人間として作り上げられている)
・メディアとの闘い
・お金があれば何とかなる。他の物や人をお金で動かすことができる。

社会化されている・・・自分の可能性・内発性を早くから失わされている。
 もしかしたら☆☆☆かもしれない・・・この、可能体としての存在が弱くなって来ている。

・豊かさが生んだ貧しさ。自分とは何かを見つけることに精一杯。自分探し、これが子どもたちのテーマである。
20~30年前の子どもたちと今の子どもたちの、生きるために必要なことが違っている。


《 今,学習は 》
イノベーションショック・・・知識や文明、人間が長い時間をかけて積み上げて来たようなことが、一年とかいう短いサイクルで生み出されては消えていく時代になった。~変化する社会。この時代に生きていくことを考える


 これまで日本の教育は、できるだけ短い時間で学習を完了することを目指して来た。日本の学生は、大学に入ったところで終了してしまう。大学で800万円使ってバカになって卒業する。
完成を急ぐあまり、本当の可能性をつんでしまって来たのでは?


いろんな競技で、中学まででベスト3に入ったような子は、大学の日本代表には一人も選ばれていない。
バーンアウト・・・燃え尽き症候群

小中学校の計算競争では、日本は決まって上位を独占したりする。しかし、ノーベル賞などの受賞者は、日本人はきわめて少ない。これはなぜか?
画一化した教育によって、発想の芽を摘んだのかも
今までの教育は、後進国からの脱却の段階として必要であり、その成果は十分あった。
しかし、現在は、知識をストックすることに意味が無くなってしまった。
(ストックからフローに)


いらないとはいわないが、覚えるだけじゃ、知識として使えない。
必要なのは、知恵ですからね。
それは書いてあることではなく、それを自分に置き換えて、目の前にある事象をコントロールする力。
その発想する力を育てたいなと思う。


《今,運動は》~体力需要からスポーツ需要
体力がいらなくなったわけではなく、特定のものへ向けた体力づくりが必要とさ れなくなったということ

近代スポーツ・・・英国のパブリックスクール、少年期の男子(全寮制)のためのものだった
したがって、これだけでは、現代の両性へ向けたスポーツにはなり得ない


紳士としての教育。
規律、厳格なルール。
サッカーなどは、点が入ったら終わりだから、なかなか点が入らないような工夫がされていたり・・と、興味深い話を聞いた。大学院の講義の中で。この、佐伯さんの話にも共通するところがある。


近代スポーツの限界
現代の日本人のスポーツに対する態度・・・3億人が6兆円を27主要スポーツに使っている。
お金を使わなければスポーツができない?
スポーツとは何か?
アイデンティティが失われている。 → 生涯スポーツ の誕生

楽しく賢く・・・・楽しいだけじゃなく、賢くスポーツを

つりの人口25万人
 釣り人が使い残したえさの量は大変なもの。
よじれた糸を捨てていく。
これらは環境汚染に繋がる。

楽しいというだけではスポーツはいけない。賢さ、この部分を考えていく~生涯学習に求められる新しい成果


《生きる力の充実》 ・・・生活享受能力

人生80年 タイムバジェット
人生総時間70万時のうち35万時はみんな同じ行動
後35万時のライフスタイル(自分らしく生きる)時間を考えられる。どう時間配分をするのか?

日本はまだまだ産業社会(仕事が中心の世界)である。→ガリガリ勉強 ヘトヘト仕事 うんざりレジャー

定年後15年~20年ある人生をどう生きるか。今の世代は、レジャーを楽しむ能力がない。

ほとんどパチンコ。
定年までは1日45分のコミニュケーション。4時間の存在意識
→ある日から24時間一緒にいることになる。

コミニュケーションは小言ばかり。だんなは仕事以外友達がいない。
奥さんがどこかへ行こうとすると「ワシも」・・・これが「ワシも」族。
ぞっとする。


今までと違うライフスタイルを。
35万時間のうち、7万時間が仕事に使う時間

たった7万時間のために残りの時間を犠牲にして来た。
残る28万時間をどのように楽しんで過ごすか?
うんざりレジャーになることのないように。

35万時間
7万時間・・・仕事
7万時間・・・ボランティアに(人生の後半、身体障害者になる可能性がある)
後21万時間 自分が自分らしく生きるために使いたい

文化装置としての知識(学問)に7万時間
豊かな感性を磨くための文化装置として、芸術に7万時間
身体を豊かに健やかに保つための文化装置として、スポーツに7万時間
平等に分割するとして考えた場合


ガリガリ勉強からノビノビ勉強へ ヘトヘト仕事からユッタリ仕事へ ゆとりある自由な時間を、今持つことを考える。

→人生の最後に時間があっても仕方がない

お金を使うレジャーでなく、自分の能力を使うレジャーを

日本人は、海外旅行に行っても公共交通機関を使えない。
すべて添乗員任せ。お金ならある

人生のパートナーを選ぶ時もこれが最初の条件だったりする。
稼いでいる時間より、稼がないパートナーとしての時間の方が長い
→一緒にいて生活を楽しめるパートナーを

これからの時代、所得は増えない。
増えるのは時間ばかり。時間を享受できる能力を。

どのような文化を獲得するのか
生きる力、生活享受能力の獲得。このためには体育の役割も大きい。


20年近く前に、こんなことを言ってのだから、すごいよね。
給料は上がりません。
暇は増えます。
さて、自分の時間をどう過ごす??

その、時間をコーディネートできる力。それこそが、学校でつけたい力。


《求められる体育の学習》
子どもを可能態ととらえる。
2足歩行に移る時、大変なエネルギーを要する。
障害を持っていなければ、どの子も自ら立って歩く。これが学習である。

人間は早産・欠陥動物として生まれ、一人前になるまで20年もかかる。
こんなに不完全な形で生まれる動物はいない。他の動物は遺伝情報で生活していける。
人間はその部分が欠落しているために、逆に可能性を持っていることにもなる

自ら歩こうとする

しかし、今はその可能性に自ら、あるいは周りから、枠をはめられている。(偏差値教育)

本来、学ぶことは快楽なのである。

本当は活動そのものが楽しいはずなのに、他に動機が求められるとその楽しさに気づけなくなってしまう


おじいさんの庭と子供たち~現在の教育を考える例

おじいさんの大切にしている庭を、ある時期から子どもたちが遊び場として使うようになった。
大切に育てている木を、いつ傷つけられるかと冷や冷やして見ていたおじいさんは、ある作戦を立てた。

ある日、子どもたちを呼んで「みんなよく遊びに来てくれた。」と3ドル与えた。
てっきりしかられると思っていた子どもたちは気を良くして次の日も遊びにやってくる。

次の日、またおじいさんは「みんな今日もよく来てくれた」と2ドル与えた。
あれ、昨日より少ないと思ったが、次の日もまた遊びに来る。

3日目みんなを呼んで「よく来てくれたね」と1ドル渡す。
だんだん金額が少なくなっていき、がっかりして子どもたちは来なくなってしまった。
おじいさんの作戦は、まんまと成功したのだ・・・。

この話から、何を感じるだろう。


大学に入ったら勉強することをやめてしまう。ご褒美でつっている学習
もちろん強化するという意味もあるが、いつのもにか遊びが学習に転化してしまう。

学習は、完成させる必要はない
100点を12年間取り続けるより、未完でいいから学習を続けられる子どもに。

よい文化・悪い文化・・・今は「正しい」というものを確定化できない。「正しい」ということが、何で決まるのか。今は正しいかもしれないが、果たして将来も正しいだろうか?

跳び箱の正しい跳び方をきっちり教えるのではなく、跳び箱と人間との関わりをしっかり教える場を。

子どもは何に興味があるかを見抜く目を。

漢字の猫・猿上・下
どちらがより早く覚えるか(読み方)というと、猫や猿の方。
全体をイメージとしてキャッチしている。

運動の特性論・・・運動と子どもの関係の中で見つけるもの。ところが、いつのまにか画一化されてしまった。(特性はすでにあるものとされた。)

実践と理論をつなぐもの
教師の視点が子どもの視点とかみ合っていただろうか。

画一化による形骸化、これはプロとしての教師に責任は大きい。

受け取って来た理論を子どもの視点に立って作り直さなければならない。
脱構築・・・・・ 実践を担当する教師の役割である。

これまでは、学習は手段であった。ある時期までで学習が終わるものであればこれでよかった。
ある所まで到達すれば済むものならば今のままでいい。
しかし、今は終わりがない。
学習し続けることが大切。プロセス自体が大切

学習は手段であるだけでなく、目的でもあるように。
遊びと同じで、学び習うことによって報われる。
いつも成功するわけではなく、ここに教師の役割がある。
仕組まれたプログラムに従って進むのではなく、試行錯誤しながら学習が行なわれるように


今の学校制度は、誕生が1日違うだけで学年が違う。
早熟の子に合わせた学校のプログラムでは、その子のテンポとズレがあっても進んでいく。
学年という枠の中に子どもを入れた時に矛盾はすでに起きている。
もっと早い子、もっと遅い子がいて、学習が好ましい経験として受け取れない。
本来子どもが個々に持っている学習のリズム。成長のリズム。内発的動機づけ。これに合うものは?


確かに、低学年の頃は、4月生まれと3月生まれでは、かなり違うような気がする。 全てそれぞれに会わせるのは難しいところもあるが、できることは必ずあるはず。

教師の役割

利き酒・・・・・マイナス採点(引き算・悪いところを見つけていく)
ソムリエ・・・プラス採点(足し算・良いところを見つけていく)

これからはプラスの評価を。長所を発見し、長所を伸ばすソムリエ型の指導を。
間違いや誤りを指摘すると、学習のエネルギーを沈滞・不活発にしてしまいがち。

授業の中で、共通性と個性のバランス。
それぞれの存在としての認識を理解する。

人が見える→→→自分が見える
このバランス感覚が教師の仕事。
教えていくことも大切だけど、個の学習と全体の学習をどうコーディネートするか。

自分の可能性が広がる学習を


できないのか、やりたくないのか、ですな。 できることを、無理せず楽しんで増やしていきますわ。

体育科の授業 2 ~植田先生の講義から

植田先生の講義から
1996/11 金沢大学大学院 学校保健
植田誠治

保健の授業のことを、正面から考えるようになったのは、植田さんの講義を受けてから。
命と向き合う時間。それとともに、学ぶ意味も問われた。

普段はモダンな人で、ピアノでミッシェルポルナレフを弾いてくれた。
感動した。


学校で学ばなければならない大切なこと(佐伯)

(1)自分が何を学ぶべきか選択できること
(2)自分で自分の学び方が正しいか否かを選択できること
(3)他人や社会と交渉を持ち、社会や文化から新しい知識を吸収すること。

学校は単に知識を得る所ではなく、児童生徒自らが主体的に学び、自己教育力を育む場でなければならない。


「スズメの学校」から「メダカの学校」へ

「スズメの学校」・・・「ムチをふりふりチーパッパ」→「一般市民の持つ情報量が少ない時代では、講演会などで、知識量の多い者が少ない者へ知識を伝達することは大変重要なことであった。
つまり指導者はわかりやすく教授することに力を注いだ・・・」

「メダカの学校」
・・・「誰が生徒か先生か」→情報過多の時代、自分に適応する情報は何かを選択し、自分の問題として物事を考えることが重要となった。指導者は住民(児童)の問題を十分にくみ取り、住民(児童)とともに問題解決に導いていく。つまり、全体のコーディネーターとしての役割が求められるようになった。住民(児童)一人ひとりに自分自身の問題として考えさせる能力が必要となった・・・。

「誰が教育するのか」-「講師(教師)が教育する」→「誰が学習するのか」-「住民(児童生徒)が学習する」への発想の転換


学びの方法(効率・教育効果)
1.Lecture(講義)・・・・・・・・・・・5%
2.Reading(読む)・・・・・・・・・・ 10%
3.Audiovisual(視聴覚機器)・・・・・・20%
4.Demonstraition(師範)・・・・・・・・30%
5.Discussion Group(グループディスカッション)・・50%
6.Practice by Doing(やることによって学ぶ)・・75%
7.Teach others / Immediate Use of learning(人を教える)・・90%
Peer educaition 仲間・同僚に対して、学んだことを教えるという行動が、教育効果が最も上がる方法である。

教師の役割について、考えさせられる。
講義、であれば、1時間、それだけを準備しておけばすむ。
学びあう集団の中での舵取りは、自分の中に、その幅を持たせることが必要で、そのために、より多くの体験を積み重ねていくことが要求される。それは大変だけど、自分にとっての学びにつながり、楽しいこと。
毎年同じ学年を持とうが、常に、いつも、新たな発見があって・・・。たまらない。


吉田章宏 8つの授業

第1次元 目標や内容
 価値のある目標→価値のない目標
第2次元 授業の方法や技術について
 上手→下手
第3次元 教師のその授業に注ぐ情熱
 熱心→不熱心


両極を取ると8つの授業が考えられる



1 価値のある目標を上手に熱心に教える授業

2 価値のある目標を上手に不熱心に教える授業

3 価値のある目標を下手に熱心に

4 価値のある目標を下手に不熱心に

5 価値のない目標を上手に熱心に教える授業

6 価値のない目標を上手に不熱心に教える授業

7 価値のない目標を下手に熱心に

8 価値のない目標を下手に不熱心に


理想的な授業は?→

よくない授業は?→


理想的な授業は、1番だということは、すぐにわかる。では、一番よくない授業は?
自分は、どんな授業をしているだろう?
いつも、ここに立ち戻って考えることにしている。


〈楽しい・わかる〉

1.楽しくてわかる授業
2.楽しくてわからない授業
3.楽しくなくてわかる授業
4.楽しくなくてわからない授業

理想の授業の順番は?→
そして、自分の今の、今日の、授業は?


高田典衛 よい授業の4原則

1.精一杯運動をさせてくれた授業
2.技や力を伸ばしてくれた授業
3.友人と仲良く学習させてくれた授業
4.何かを新しく発見させてくれた授業

これを理論化したのが高橋建夫
先日、高橋先生の訃報が届いた。この年に、このことを考えることに、感慨深い物を感じる。


高田典衛 〈授業レベルの判定基準〉

1.場当たり的にお義理でやっている授業
2.何とか計画を立てて真面目に取り組んでいる授業
3.自分なりに教える内容を絞っている授業
4.一人ひとりの力を引き出している授業
5.観ていて感動を覚えるような授業


見ていて感動を覚えるような授業を、これまで自分はしたことがあるだろうか。
自分では客観的にみることができない。

それを伝え合うことは、なかなか難しい。
だから、見てくださった方からの正直な言葉はありがたい。


講義・授業に入る時に考えること。

ブレーンストーミング(脳を暖める)
・グループで ・できるだけたくさん ・否定はしない ・時間は3~5分
・競争させる
例(ヘアピンの使い道、新聞紙の使い道、連想ゲームなど)
・アイスブレーキング(固い雰囲気を壊す)自己紹介、ゲンコツ合わせ、タッチングetc

今でも、この中のことを意識して授業している自分がいる。
今日、読み直して、また、月曜日からの授業へ向かう気持ちが高まっている。

教師という仕事は、奥が深く、とても楽しい物だとつくづく。

体育ができる喜び・・・1

昨年度は1年間、体育を受け持つことができなかった。
体育を学級経営の基本において、毎年クラス作りをしてきたから、なんか、感覚的に変な感じがした。
(代わりに、社会で徹底的に楽しんだけど・・・)

異動して今年は体育を再び持てることになり(って、これが普通だけど)うれしくってしかたがない。

体力の向上を目的にした、体育科専科。
専科は悪くないけど、5・6年生に限定で、そこって、男の先生が多くて、結構体育得意な人もいるわけで・・・。
それより、1年生から6年生までのいろんな学年を持ってもらって、その学年の先生方と一緒に学校体育を作っていってもらった方が効果的だと思うけどなぁ。
おいらも、体育の大学出て、体育で大学院も出て、体育科経営で修士論文書いて、体育を持たせてもらえないって、ねぇ。でも、きまりだからどーすることもできないってことで。

で、今年は、そんな気持ちも含めて思いっきり体育の授業を楽しもうと思ってます。
ああ、たのし。

気持ちを高めるためにも、思い出すためにも、院で学んだことをおさらい中。
いつでも振り返られるように、アップしておきます。


生涯スポーツにつながる学校体育の指導
1996.8.7 小松市公会堂 東京学芸大学 永島 惇正

スポーツは今や社会の中心的な存在になっている。このスポーツを取り上げる体育の意味は、文化や社会にまで影響するものである。

学齢期にある子どもの身体や心に関わる
日本の社会や文化に関わる
ということ。

体育がなぜ教科として必要か?!

すべての子どもに、強制的に教科として体育を学ばせていることは、大変なことである。
なぜ強制してまで体育をやる意味があるのだろうか。答えが見付からないならば、体育をやめてしまえばいい。

体育が教科として存在する国は珍しい
アメリカ (州によって学ばないところがある)
イギリス(以前は校長の裁量で決めていた)

体育のアイデンティティ(存在意義)

戦前・・・国民の身体を鍛え上げる (スウェーデン体操を拠り所に)
指導・・・ 教師が一斉に指導するもの
体を鍛えるだけでなく、上の人に従順に従うということに寄与した・・・当時、のぞまれた

今でもこの形の体育から抜けられない人がいる→笛で子どもを動かす

文化にこんな領域は存在しない
スポーツの世界でも、ダンスの世界でも、笛を使ってしまえば、その文化性は壊されてしまう。スウェーデン体操が入ってきた時には、その文化性の部分は一切排していた(意図的に)。


戦後・・・人間の捉え方が変わった

1940年代後半から心身は一体であると考えられるようになってきた。
運動による全人教育の開始
経験体育 グループ学習
この時点でも、スポーツが人間にとって、それ自体が大切なものであるという点が 抜けていた。
運動それ自身の学習の大切さ

障害者、病人もふくめて、生涯にわたって人間にとって大切なものが、学校期に、学校期だけの目的で考えられているとしたら大変である。


これまでの体育は、教師の善意(?)のもとで行なわれてきた。
逆上がりができるようにしてあげたい
できない子にとっては大変なこと
鉄棒と子どもの関係など問題ではなかった。

この練習を通して得るものが大切なんだ。
できない → 練習 → 家でも練習 → できた → 先生に見せたい → よかったね

『先生、これでもう逆上がりの練習しなくていいんだね』

あの子は涙を流して練習して、ついに逆上がりができるようになった。その喜びを味わわせてあげた。
ほとんどの子は、そんなこと関係ない
教師の自己満足の犠牲となってはいなかったか。
できるようにしてあげたことが自信となって、根性、ガマン、努力という力が身についていく・・ハズと。


生活の中で遊ばれてこそ、スポーツやダンスは生きてくる

一人ひとりが人間としてどう生きたら人間になるのか
文化としての運動とどう関わるのか
これが、生涯スポーツに結びつく体育の在り方ではないだろうか。


運動を、方法として使うか、目的として使うかの違い。

方法論・・・運動をすることで根性が鍛えられる.体力をつける。ルールを守るようになる。
目的論・・・スポーツを楽しむことを目的として、思いっきり楽しんだその結果として、体力がつく。
「知らないうちに、自ら気づく、備わっていく」

本気になって取り組み、以前よりもっと獲得している
つまづきながら、もっともがいている
そのスポーツと主体的に向き合うことで、自ら獲得していく力。
思わず、やってしまう。やりたくてしかたがない気持ちになってもらう。その、わくわくする気持ち。


ルソー・・・子どもは小さい大人じゃない 独自の世界があり、その中で子どもは育つ
ピアジェ・・・遊びとしての運動の中に発達の可能性を見つけている。


PLAY・・・遊び半分ではプレイにはならない。
本気になって初めて遊びといえる。心も体も本気になる授業を。

負けてへらへらしてるような、そんな適当な授業はしたくない。
悔しくて、だから練習したくて、相談したくて、考えて・・・。
自分のめざす体育は、ここ。


教室から開放された子どもたちがニコニコしているだけの底の浅いものにならないように

本気にならない時は、何かの束縛から開放されているだけ。本気の時は○○への 自由を獲得した時。
スポーツの特性に触れた時、発育発達の可能性にも触れている。
これをしなければ、体育の 存在価値がなくなる。


シラー・・・遊んでいる時にこそ人間は本当の人間になる(感性と理性が程よく調和する、これが遊んでいる時)
ホイジンガー・・・「ホモルーデンス」から今の体育がスタートした。 S42年

「新しい体育」(当時)に、こ数年の主張で、考え方が変わってきているのではない。実践に実践を重ねて、ようやく広まってきたのである。25年以上もかけて。

文化こそ、遊びの中から生まれ育んだもの

遊び ・・面白さ、楽しさがある。これがなかったら、遊びは遊びではなくなる。
自由・・やらされているのではない。そのものに魅力があるからやる。やりたくないのにやらされるのは仕事
やりたいからやり、やめたいからやめる

最初はすごい反発があるだろう。非生産的であるし、没利害でもある。
では、なぜやるのか・・・それに意味があるから。特性。
やってみなければ、結果や過程が分からない・・・結果が見えるものには努力できない。
創意工夫が生まれる

自分の持つ能力のすべてを投げ込んで、答えを見つける。この行為の中にいろいろ含まれている。

今までの考え方・・・自由な中でやらせたら、人間は怠ける

ホイジンガー・・・自ら見つけた魅力なら、人間は努力をする

これこそ、運動の原点。
やらされるものではなく、やりたくなるもの。

スポーツという中の人間が自ら鍛えるということを履き違えている。
暴力の中でやらされたものは絶対に伸びない。
一番高いレベルのところでやっている人にそんな人は一人もいない。
強制なんて、一切廃止されている。

軍隊は人間の中でいやなことを強制でやらせる。・・しごく

スポーツは好きなことを全力を尽くしてやる。
仕事として運動を授業の中に取り入れるのでなく、Playを授業の中に取り入れる。
スポーツは、Playされることによって文化的な意味や価値を享受されるものである。


バスケットのルールを教え、練習方法を教え、そして練習をし、ゲーム
これまでの体育はそれだった。
「将来、バスケットボールの選手になる人もいるだろうから、きちんと教えないと」

余計なお世話です。
クラスの中で、バスケットボールの選手になる人が、どのくらいの確率でいるだろうか。
学校体育で、もし、それをやるなら、全てのスポーツを教えなければいけない。
そんなの、ナンセンス。

こういう広さ、道具、メンバー(老若男女)があれば、どういうゲームができるか想像(創造)できる力。
ルールは、変えられる物。
それだけは変えてはいけないという物、それが特性。
それ以外は、どんどん変えていい。

バスケットボールを学ぶ、のではなく、
バスケットボールを通して、学ぶ。
何を?サッカーでの攻め方を、周りの見渡し方を、ルールの工夫を、みんなとの関わりを、技術の向上方法を。


文化は一つの意味のまとまりを持つもの・・・ゲシュタルト
球技のゲシュタルト・・・そのゲームはどんな意味・楽しさを持っているゲームなのか?

遊びは面白さが中心になり、そのまわりにいろいろな構成要素が意味付けられていく。
その面白さから外れてくると、ずれてくる。これは、ゲームを捉える時の重要な視点になる。
生活の中で行われるのは、この面白さが中心。
体育ではその運動の特性をしっかりつかみ、安定した意味の中身を教えていく。

ゲームと学習の関係
ゲームを手段としての学習・・・1
ゲームについての学習・・・・・2
ゲームの中での学習・・・・・・3

1 体を鍛える社会性 伝統的な体育はこれを重視
2 実際にゲームをしなくても学べる
3 ゲームの意味・価値 ゲームをしなければわからないものである。 ゲーム中心の学習

特性・・・このスポーツは、この楽しさがあると、決め付けてしまってはいないか?
スポーツにはいろんな楽しみ方がある。
意味付け、価値付けはいろいろ考えられていいもののはず。

文化や社会を作り上げてきた人間。
ある一定の歴史や社会は、共通に心・善・美を持ち合っている。
共通に認め合っていなければ、社会・学問は成り立たない。

一人ひとりはいろいろな捉え方があるだろうが、ある共通の了解があるはず。
これを特性と捉え、学習の道筋に生かす。

共通のものを押さえておかないで、個々の捉え方を認めていたら共通の考えを持つ機会・場は必要ないことになる。共通の了解を持った上での個性である。
これが認められなければ、共通の学習の場は成り立たない。


人間とリズムの関係
社会のリズムに取り込まれすぎている。・・・まわりのペース

元々自然のリズムがある
文化のリズムにたどり着くと、自然のリズムに戻り易い。

音楽・絵画・運動・遊び

体育の授業も仕事のリズムに乗せるようではだめ。

急がない学習を
大きな単元を用意する。
小さな単元なら、無駄な学習を 省く。
できることから始める。

できる教材を開発する。できる楽しさの連続。

文化はもともと自らを鍛える力を持っている。


読み直して、子どもたちの姿が浮かんでくる。
それが、明日への活力になる。

みんなで学び合いたいな。

これは、学校だけに関わることではなく、社会全体に関わることだね。
置き換えて考えると、見えてくる。

2013/11/30

平和のとりでを築く

 戦争は、人の心の中でうまれる物だから、心の中に、「平和のとりでを築く」ことが、平和への道のり

1

 授業の中で、子どもたちとこのことを確認した後『私にとっての平和』をテーマに、図書館やインターネット、インタビューなどを通して情報を集め、意見文を作成した。
 そして、「書き言葉と話し言葉」の違いを意識しながら、全員の前で一人ひとりが発表。36人、みんなの意見を聞き終わった後、『今の思い』を綴ってもらった。

 誰からでもどうぞ・・・というと、次々に立ち上がって思いを伝えてくれた。こんなにもたくさんの子が、自分の意思で話をしてくれたのは、初めてだったかもしれない。それほど、この学習が子どもたちにとって深く考える時間となったのだろう。聞いているうちに、思わず「うるっ」と来てしまった。不覚!? にも。

 『私にとっての平和』について話してくれた中から、2人の文を紹介します。


 私にとっての平和とは、家族がそろって仲良く生活することだと考える。私は戦争についてはよくわからないが、家族がいなくなるのはいやだ。
 先日、お母さんたちが出かけて家にいなかった時、初めて鍵を持って学校に行った。今まではおじいちゃんがいて、鍵を持って出かけなくても大丈夫だった。でもおじいちゃんが亡くなり、家には誰もいない。外に出る時は、鍵を閉めなくちゃいけない。私はちょっとさびしく感じた。
 家族が毎日そろって仲良く生活するのは当たり前だと感じ、平和とは何にも関係ないと思うかもしれない。でも突然家族がいなくなるということは、戦争に行った家族が帰ってこなくなるということと同じだ。そう考えると、とてもさみしくなるし、悲しい気持ちになると思う。だから家族がそろって話したり、一緒にご飯を食べたりするということは、当たり前ではないと思う。だから私は、一人いなくなったとしても、今の生活を大事にしたい。だからお母さんたちには感謝をしたい。
 私はこの体験からたくさんのことを学んだ。最初は戦争のことは全然分からなかったけど、分かったような気がした。戦争にあい、家族をなくした人の気持ちも分かった気がする。だから、やっぱり家族がそろって毎日仲良くするということは当たり前ではなく、家族にとって、一番幸せなことだと思う。


 世界の人々が、いじめをなくし安心して暮らせること。これが「平和」だと考えた。いじめをなくすことは、とても大切で、例えばケンカをしても、すぐに仲直りできるけど、いじめはケンカとは違って、一人対大勢やられます。なかには、自分がいじめられていることで、仲のよかった友だちにもさけられたりすることがあります。こういうことが起こるから、いじめは絶対にやってはいけません。でも、自分がいじめを見て、それを大人の人に言おうとすると「言ったことがバレて、私もいじめられたらどうしよう。」とか、そういう思いがあって、言うには勇気がいりませんか?
 なぜいじめが起きるかというと、自分たちの中に、自分と異なる人(異物)がいると感じられるようになると、共同体はその異物を外部へと排除しようとする傾向があるからです。でも、一人の子をいじめても、その子が嫌な思いをするだけで、何の解決にもならないから、無駄なことだと思います。
 いじめる側の人は「ウザイから」とか「反応がおもしろい」とかそういう理由でやるんだと思います。だけど、いじめをなくそうと呼びかけたり、いろいろな活動をしているところがいっぱいあります。その活動でいじめが全部無くなる分けじゃないけど、言わないより言った方が絶対よくなります。 私は、いじめについて調べて、いじめをなくすことの大切さがよく分かりました。いじめをなくすには、一人ひとりがいじめのこわさや、ダメだってことを知らないといけません。自分にできることは、悪口をやめたり、悪口を言っている人たちに注意したりすることです。いじめを無くして安心できるようにすること。それができるように、自分にできることをしっかりやっていきたいです。


 ここには二人の意見文だけを紹介したけれど、本当に、一人ひとり、自分の問題として考えてくれたのがわかって、聞いていて感動した。


みんなの感想

今も戦争をしているところは、人間、動物がたくさん死んでいることが分かった。いじめ、差別、偏見のない世界にしていきたいと言う言葉を聞いて、私もそれをめざしていきたい。キャップを集めたら400個で10円と言っていて、私もキャップ集めをしていきたい。


自分が気づけば変えられることもないわけじゃないことがわかった。私なんかは戦争にはふれずに、せまい世界の暴力を題材にしているけれど、世界の子どものことや戦争のこと、動物のことなど、広いイメージを題材にしている人がいて、平和につながる、よく理解できる物が多い。自分が当たり前だと思いこんでいることが、世界的に見てみれば、全然そんなことじゃないことがよく分かった。


みんなのスピーチを聞き感じたことは、戦争や暴力を無くしたいという気持ちが伝わってきた。みんな平和につながることをしっかりまとめていました。自分が調べた内容と同じ人の感想を比べると、そういう考えもあるんだなぁ~ってすごく納得できる時間になりました。一番心に残ったことは、学校に行きたくてもいけないこと。すごく不安になりました。前にスポーツの行事でユニセフ募金をしました。100円くらいで何個かの治療費になると聞いた時、こんなめんどくさいと思っていたけど、この勉強をしたら、今の私の成り立っている生活から、募金活動に参加したいという思いが強く感じました。


一人ひとりのスピーチを聞いて、私はいじめについてだったけど、戦争や環境破壊など、他にもいろいろな意見がありました。平和にするためにはたくさんの手段があったから、自分にできることをできるといいです。いじめのことを調べてみて、世界には今も苦しんでいる人がいます。いじめを無くするための手段をいろんな人が言っていたので、それを参考にして、悪口や差別をへらしていきたいと思った。


原爆はとても恐ろしいことが分かったし、差別やいじめ、暴力で戦争につながることがよく分かった。今でも戦争をしている国があり、子どもまでやらされているなんてひどいと思ったし、まずは、戦争をなくすことで平和になるんじゃないかと思った。動物は人が絶滅させていることを聞き、なぜそんなことをするのかと思った。動物がいなかったら、ぼくたちは今生きているか分からないので、生きている物には全て大切にしていきたい。


いろいろな意見を聞いてぼくは、戦争が起きる原因は、人の欲望や悪い気持ちだと思った。だからそういう悪い気持ちをなくせばいいと思った。


憲法を変えないでほしいという気持ちが高まったし、みんなのを聞いていると、「いじめ」「体罰」「戦争」「差別」などたくさんいやなことを、平和じゃないと言っているのは、間違いじゃないと思います。


ペットボトルでワクチンや命がうまれるような、平和につながることを知りました。約700万人が5才を迎えれらないのは、日本では信じられない。日本では治療できたのに?自分がその気持ちで子どもだったら、悲しくて、家族も悲しく、そういうことはあまり考えたことが無くて分からなかったけど、話を聞いて、やっぱり自分も考えなければいけないと思いました。


みんなのスピーチは、いじめ、差別、偏見、核兵器の恐ろしさ、動物のことなどで書いていました。スモーキーマウンテンでの生活、どれだけひどい生活なのか、想像できません。


学校がいやだと思う時がある。でも世界には学校に行きたいのに行けないまま死んでしまう人もいることを気づかされた。なので、学校にありがたみを持って通うようにしたい。


マレーシアでは男が体罰していいと聞いて、そんな国があることはおかしいと思った。原爆は普通の爆弾の3万個分の威力を持っていることが分かった。690万人が5才を迎えられないことがわかった。このことを聞いて、貧しい人に、ぼくは募金やキャップを集めておくって、生活しやすいようにしてあげたい。戦争は人々だけじゃなく、動物、植物がなくなるので、ほんとにダメだと思った。今でも戦争をしているのはおかしいと思った。いじめ、偏見、差別をしている人がいるから、みんなが楽しく暮らせないので、そういう人がいなくなれば「平和」になると思う。


自分にとっての平和もあるし、人々にとっての平和もある。その中で、国境の話はとても印象強く残った。自分で調べて、食べ物がもらえないや、人身売買が実際にあったなんて、全く知りませんでした。自分だけじゃなく、みんなで生きていると分かった。


この一しゅんで命がうばわれるというので、ぼくは、石川県に落ちたら最悪と思いました。


平和のとりでを築くということは、みんなが笑顔になることだと、みんなの意見を聞いて思った。人によって絶滅した動物は100種以上で、肉などを食べないと生きていけないので、私は使えるものは使えるようにしたいと思う。


改めてぼくは、今戦争をしていないということが、すばらしいことだと思いました。


この授業をして、ぼくは、前まで知らなかったことがこんなにあったのでびっくりしました。人の手で100種類以上も生き物が絶滅していたことも知りませんでした。動物は、人にとっても大切な物だと分かりました。


今まで「平和」といれて戦争ぐらいしかパッと浮かばなかった。でも一人ひとりが自分にとっての平和について話し合ったので、「平和」とは、生き物を大切にすること、争いをなくすこと、物を大切にすること、家族とともに生活ができること、差別をなくすこと、世界の人々が安心して暮らせるということ、それが6-1のほとんどの人の「平和」でした。家族と暮らせることというのは、自分にとっての「当たり前」。自分にとっては「当たり前」でも、他の人からしたら「当たり前」ではない。今の生活の「当たり前」のことに、感謝していこうと思った。


他の国の人も関わっている、と言う意見から、自分は「日本に生まれてよかった」ではなくて、いろんな平和を築くことにつながっていることが分かった。他の動物だから、や、他人のことだから、ではなくて、それぞれの平和について、ちゃんと向き合わなければいけないと思った。


家族といられるということは、当たり前じゃないという意見を聞いて、世界では戦争で親が亡くなって、一人で生きている人もいて、もし自分が一人で生活していたらすごくさみしいので、家族や友だちを大切にしたい。


本当にこのスピーチを書くのに3回くらい書き直したから大変だった。みんなみたいに上手にまとめられなかったけど、自分的に、こんな物を書けるとは思いませんでした。とってもドキドキしたけど、すごくがんばれたからとても良かったです。一人の人間が気づけば・・・ということと、いつも家族といて普通だけど、戦争で家族を亡くしていることが分かり、本当に家族が大切だと思いました。


フィリピンの人(一部の人)が住んでいるところは、スモーキーマウンテン(ゴミの山)だと聞いて、私だったら、そんな生活したくない、住んでいる人たちは、それ(生活)が当たり前なのかもしれないが、私だったら、きたないと思うかもしれない。みんなの意見を聞いて、これからの生活は、気をつけていこうと思う。(ペットボトル、食べ物、あやまるとか)これからの生活は、すべて(水道の水が飲める、食べ物に困らない)をありがたく思いたいです。


みんなの意見を聞いて、人だけが楽しく暮らすのではなく、動物も楽しく暮らすことだということです。ぼくも家でペットを飼っていて、、やっぱり次からは、えさをあげるのを忘れないようにします。


 核兵器が世界からなくなることが、ぼくの主張だった。「ぼくはこの世界に原爆はいらない」と言っていた。ぼくは恐ろしさでいらないことを主張できて良かった。


みんなが考えた平和は、差別やいじめ、をなくすことだと思います。それで私は、争いをなくすだけではダメなんだなぁと思いました。


他の国では自分と同じ年の子が5才を迎えれらない子たちを助けていることが分かった。だから、自分もだれかを助けようと思えば助けられるんだなぁと思った。自分もそういう気持ちをこれからつけていきたいと思った。


私はみんなのスピーチを聞いて、生き物、お金など今はふつうにあるけど、それは日本だけと言っていいほど、他の国が困っていることが分かりました。それで日本でもキャップなどを集め、一人でも多く助けられるということなので、私も協力したいです。


平和は、動物、子どもの関係、国同士の争い、その恐ろしさなど、平和になるにはまだまだあるし、今、ゴミの山で暮らしていたり、戦争をしていて罪のない人が亡くなる。動物のすみかが無くなり、動物がいなくなってしまう。そして、今、普通にしていることができない人もいるし、その全てをなくすのは難しいけど、少しずつでも減っていけるようにしたいです。


一日一日の食べ残しを集めたら、いつか、すごい量になるなーと思った。その分を苦しんでいる人に渡したら、喜ぶなーと思った。食べ残しがないように、ありがたく食べようと思った。最初は国境はなくてもいいのにと思ったけど、今は、あった方が便利だと分かった。でも、狩りの本能が無くなるのは無理かもしれないけれど、思い合った心を持った人がいっぱいいる世界になったら、国境が無くてもいいかな~と思った。


自分は世界の子どもたちをすくいたいという気持ちだった。でも、「いじめ」や「原爆」などはあまり書いていなかった。だから納得した意見がいろいろあった。「悪口をやめろ」や「国と国が仲良く」等がとても平和に近いと思った。「動物のこと」では、戦争では「動物に見向きもしない」や「人々のせいで動物が苦しむ」ことが「確かにそうだな」と思った。だから生き物も大切にしていきたいと思った。


「原爆はふつうの爆弾の3万個にも行く」と言う言葉を聞いて、1個の爆弾でも相当な威力なのに、3万個だなんて、想像もできないくらい恐ろしいです。でもそれでもがんばって生きぬいている人もいるのですごいと思いました。戦争はいけないと思います。


世界ではいじめ、差別をしている国があるということが分かりました。核兵器は必要ない、絶対使ってはいけないとよく分かりました。ペットボトルのキャップを集めて400個で10円になると聞いて、自分も集めて、一人でも命を助けたいです。


 私にとっての当たり前は、世界にとってはうらやましいことだと分かった。私たちが、ただで学校に行けるのも、世界には行きたくてもいけない子どもたちがいることが分かった。私にできることは募金「ユニセフ」だと思う。私はそれに、世界の子どもたちを救えるのはカッコイイと思いました。家族と一緒にいられるのは、とても素晴らしいこと。それを大事にしていきたいです。


 体罰やいじめをなくさなければいけないと思います。「いじめを見て見ぬふりをしている人が70%もいる」ということはびっくりしました。みんなの意見を聞いて、当たり前のことは本当は、とっても恵まれていることが分かりました。私は、ご飯を食べている時、あまりありがたさを感じていなかったので、これからは、私のために命を犠牲にしてくれた生き物に感謝して、あまり食べ過ぎないように気をつけていきたいと思いました。


家族と仲良く共に暮らすということは、当たり前ではなく、とても幸せですばらしいことだと分かりました。


原爆・戦争・いじめをなくす。安心してくらす。動物を大切にする。これらの意見を聞いていると、どれも平和につながる気がしてきた。一つに限らず、全てが平和だと思った。この意見を元に、少しずつ生活を変えていける気がした。


一人ひとりの言葉の中に、友だちとの学びあった言葉が並んでいる。 気づきは人それぞれ、成長の具合もそれぞれだから、受け取り方も様々。でも、自分で考えるってことが何よりも大切。こういう経験をくり返しながら、きっと、自分にとって大切だと思うことを、自分、そして周りの人のために考えられる人として育っていってくれることだろう。

消極的平和・・・単に、戦争状態ではないこと
積極的平和・・・戦争がないだけではなく、差別や貧困、弱者が保護されるような、平和

 だとしたら、今の日本、そして世界は、まだまだ「平和」にはほど遠いかもしれない。でも、あきらめたらそこで終わり。必ずできると信じて、自分のできることを、となりの人と手を携えてやりぬいていこう。言うだけじゃなく、できる、やる、やりきる自分でいたいね。


みんな、ありがとう。
すてきなクラスの子どもたちとの時間、本当にありがたくうれしいです。

2017年3月
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